第一ヨハネ4:16 私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。
キリスト教の教えの中心に位置するのは、愛です。聖書では、「神は愛である」と記されており、その愛は人間にも示されるべきだとされています。キリスト教では、愛は全ての行動の基盤であり、人々が神と隣人を愛することが重要視されています。
キリスト教会内において、愛の重要性は以下のような形で表現されます。
1. 神への愛: キリスト教では、神への愛が最優先されます。神に対する愛は、信仰と従順の根源となります。神が人々を創造し、彼らを愛しており、その愛に応えることが期待されます。
2. 隣人への愛: キリスト教では、隣人を自分自身のように愛することが重要視されます。この愛は、他者への思いやり、共感、援助、そして許しを意味します。この愛は教会内での関係においても重要であり、互いに支え合い、助け合い、共に歩むことが求められます。
3. 共同体の愛: キリスト教の教えでは、教会が共同体として一体となり、愛を実践することが強調されます。教会は、信仰を共有し、共に礼拝し、共に奉仕する場であり、愛によって結ばれた共同体として機能するべきです。
4. 愛の証し: キリスト教の教えでは、愛は言葉だけでなく行動によっても示されるべきだとされています。愛を実践することによって、他者に神の愛を体験させることができます。したがって、キリスト教会内では、愛に満ちた生活を送り、社会的責任を果たすことが求められます。
総括すると、キリスト教会内における愛の重要性は、神への愛、隣人への愛、共同体の愛、そして愛の証しという形で表現されます。これらの原則に基づいて、信者は愛に満ちた生活を送り、教会内外で愛を実践することが期待されます。
教会という場所には人が集います。”教会”と聞くと、人は建築物である教会堂をイメージしますが、じつはその考えは間違っています。”教会”というのは建築物ではなく、その共同体のことを指します。つまり、クリスチャンが集まるところが”教会”です。
教会には人が集まりますが、人が集まるところでは常に問題が起こります。問題のない共同体は、この世界には存在しません。教会には何かしらの問題が付き物です。教会において問題が起こった時、最も重要となるのが”愛”です。この世の共同体では、問題が起こった時、争いが勃発し、人々がさばき合い、ののしり合い、憎み合います。そこに愛はありません。愛のないところに問題の解決はありません。なぜなら、愛こそが唯一の問題解決方法だからです。
コロサイ3:12-14 ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。
愛だけが唯一の問題解決方法です。愛とは、赦し合うことです。赦しのあるところに争いは起こりえません。争いとは、赦し合うことができないからこそ勃発するものだからです。愛は結びの帯として完全です。愛は多くの罪を覆います。
私たちキリスト者は常に愛に立ち返らねばなりません。どの類の愛に立ち返るのか? それは『キリストの愛』です。キリストの愛とは無条件の愛です。自己犠牲の愛とも言います。キリストは見返りを求めない無私の愛で人間を愛しておられます。その愛の完全な現れとして、人間の罪を赦す為に、自ら十字架に架かって死なれました。私たちはこのキリストの無条件の愛へと立ち返らなければなりません。
もしあなたの教会において愛が忘れさられているとしたら、悔い改めて、キリストの愛に立ち返りましょう。キリストの愛だけが、問題解決の唯一の方法であり、争いを終結させる唯一の方法です。
今こそ私たちキリスト者に愛が必要です。愛を追い求めましょう。
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