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人間に従うか?神に従うか?


人間に従うのか?神に従うのか?選択肢は二つに一つ!

私たちには常に選択の時が訪れます。選択肢は二つです。


①神に従う

②人間に従う


この選択の時は人生に一度だけではなく、一日に何度も訪れます。キリスト者は聖典である"聖書"に基づいて日々の生活を送ります。なぜなら、聖書に書かれていることは全て神様のお言葉であり、その内容は全て神様のご意志を反映したものであると信じているからです。新約聖書にはこうあります。


新約聖書ヨハネの福音書14章23,24章

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた父のものです。


つまり、キリスト者にとって"聖書に従うこと"は、神であられるイエス・キリストへの愛情表現であるのです。イエスを愛する者は、イエスの教えである聖書の言葉に従います。しかし、イエスを愛さない者は聖書の言葉に従いません。


聖書はその名の通り"聖い書物"です。神の教えは完全なる聖さを持っています。私たち人間は罪人です。罪人である私たち人間が、神の完全なる聖さを反映した聖書の言葉に従うことは至難の業です。ですから私たち人間には常に「聖書の教えから逸脱したい」という誘惑があります。そのような誘惑が常にある状況の中で、他人から「聖書に外れた教え」がやってきます。私たちは迷うわけです。聖書の教えに従うのか。人間の教えに従うのか。


神の教えに従えば祝福があります。しかし、人間の教えに従えば呪いがあります。神の教えは完全に正しく、人間の教えは罪の影響によりほとんどの場合間違っているからです。神によって祝福されるのか、呪われるのか、全てはあなた自身の選択によって決まります。究極の二択ですね。


新約聖書使徒の働き5章29節

しかし、ペテロと使徒たちは答えた。「人に従うより、神に従うべきです。


神様は私たち人間に、ご自分の聖い教えに完全に従って欲しいと願っておられます。人間の教えではなく、神の教えに従うべきです。神の教えに完全に従った時の祝福について垣間見ることのできるストーリーがルカの福音書にありますので見てみましょう。


新約聖書ルカの福音書1章57-66節

さて、月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。近所の人たちや親族は、主がエリサベツに大きなあわれみをかけてくださったことを聞いて、彼女とともに喜んだ。八日目になり、人々は幼子に割礼を施すためにやって来た。彼らは幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、母親は「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。彼らは彼女に「あなたの親族には、そのような名の人は一人もいません」と言った。そして、幼子にどういう名をつけるつもりか、身振りで父親に尋ねた。すると彼は書き板を持って来させて、「その子の名はヨハネ」と書いたので、人々はみな驚いた。すると、ただちにザカリヤの口が開かれ、舌が解かれ、ものが言えるようになって神をほめたたえた。近所に住む人たちはみな恐れを抱いた。そして、これらのことの一部始終が、ユダヤの山地全体に語り伝えられていった。聞いた人たちはみな、これらのことを心にとどめ、「いったいこの子は何になるのでしょうか」と言った。主の御手がその子とともにあったからである。


ある日、祭司ザカリヤと妻エリサベツの元に天使ガブリエルが現れ、二人から一人の男の子が生まれることを告げ、その子に「ヨハネ」と名付けるように命令します。ザカリヤとエリサベツは高齢夫婦でした。ですから、祭司ザカリヤは天使ガブリエルの宣告を信じることができませんでした。彼の不信仰の故に、彼は神様によって口がきけなくされたのでした。その後、天使ガブリエルの宣告通りエリサベツは身ごもり、男の子が生まれました。近所の人々が集まり、生まれてきた赤ちゃんに名前を付けようとします。当時の風習では、親族から名前をもらうのが一般的でした。しかし、ザカリヤとエリサベツは当時の風習にのっとって名前を付けるのではなく、神様から指示された「ヨハネ」という名前を子供に付けたのでした。するとたちまち祭司ザカリヤの口がきけるようになり、彼は神様を褒めたたえました。


私たちも祭司ザカリヤと妻エリサベツの行動に見習うことができます。時に私たちは、文化、風習、しきたり、周りの人々の言葉などに縛られるものです。それに従わなければ、周りの人々からは変な目で見られることでしょう。しかしながら、それら人間の教えに従ったところで神様からは祝福されません。人間からは大いに祝福されるかもしれませんが、人間以上の偉大なるお方から呪われるのなら、本当の祝福とは言えません。


今日、あなたは分岐点に立たされています。選択肢は二つです。人間に従うのか、神に従うのか。人間に従うことをやめ、神に従うとき、あなたに大きな祝福があることでしょう!ハレルヤ!!




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