日本にはキリスト教をやたらと毛嫌いする人々がいます。この日本社会において「キリスト」というワードはNGとなっている気がします。今まで普通に仲良く話していた人に、こちらから「キリスト」というワードを出すと、急に相手の表情が変わり、変な空気が流れ、気づけば相手はフェードアウトしています。フェードアウトしてくれるなら良いのですが、激しくののしってくる人や反論してくる人々もいます。最悪の場合、暴力を振るわれる場合さえあります。
これは実際の話です。私が大学4回生の頃、卒業論文を執筆することになりました。私は建築学科に属していましたので、卒業論文は「教会建築」について書きました。見事卒業論文を書き終わり、私は無事に大学を卒業したわけですが、そこに至るまでの道のりは非常に険しいものでした。なぜかというと、私が所属していた研究室の教授が大のキリスト教嫌いだったからです。卒業論文の制作に取り掛かっている期間、何度も何度も教授から攻撃を受けました。研究室の集まりで卒業論文の途中経過を発表しているとき、教授から「あなた皆の顔を見た?皆、顔が引きつっているわよ?誰が宗教の話を聞きたいと思うの? もっと面白い話を持ってきなさいよ!」 と皆の前で批判を受けました。そして挙句の果てには「このままでは、あなたを卒業させるわけにはいかない。もう一年、留年しなさい」とまで個人的に言われるまでになりました。私は絶望しました。私立大学の理系学科の年間授業料は160万円にまで上るからです。親に迷惑をかけるわけにはいかなかったので、私は必死に卒業できるように教授に頼み込みましたが、教授の返答は曖昧なものでした。卒業論文発表日の一週間前、研究室にて最終確認の場が持たれ、研究室生同士で自分の執筆した卒業論文を発表し合いました。私の番が回ってきた瞬間、教授が立ち上がり「まだこんな論文を書いているのか!あなたの発表は聞きたくない!終わりだ終わり!もういいから、次の人!発表しなさい!」と言って、私の発表を未然に阻止したのです。私の心は不安とショックでいっぱいになりました。そのような状況においても無事に大学を卒業できたことは神様に感謝の気持ちしかありません。
このように日本にはやたらとキリスト教を毛嫌いする人々がいます。私はそのような人々に勧めます。一度、聖書を読んでみてください。キリスト教への偏見は多くの場合、無知から来ます。人はよく知らないものを嫌う傾向にあります。知らないから嫌うのです。しかしながら、よくよく考えれば、よく知らないのに嫌うっておかしな話ではないでしょうか?よく知ったうえで嫌うのならまだいいのですが、知らないのに嫌うのは愚かな話です。ですから、キリスト教を毛嫌いする人は一度、聖書を読んでみてください。新約聖書ルカの福音書1章1-4節にはこうあります。
ルカの福音書1章1-4節
私たちの間で成し遂げられた事柄については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人たちが私たちに伝えたとおりのことを、多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています。私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。それによって、すでにお受けになった教えが確かであることを、あなたによく分かっていただきたいと思います。
ルカの福音書の記者は「ルカ」です。ルカはギリシア人の医者であり、突出した頭脳の持ち主でした。そんなエリートである医者のルカが、イエス・キリストについて綿密に調べ上げ、読者がわかりやすいように順序だてて執筆したのが「ルカの福音書」という書物です。一般教養のない者が書いたのではなく、頭の良いお医者さんが書いたのですから、その内容は信頼するに値します。ルカの福音書は、実際にはルカが執筆しましたが、それを導いたのは神様です。
ペテロの手紙第二1章20,21節
ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい。預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。
ルカの福音書だけにとどまらず、聖書全体は、神様に導かれた人々が神様から受けたことをを執筆したものです。つまり、聖書は神様が執筆なされた神様の御言葉であるのです。聖書には神様の非常に優れた知恵が満ち溢れています。
へブル人への手紙4章12節
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。
テモテへの手紙第二3章16節
聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
聖書を一度読めば、聖書が本物であることが一瞬でわかります。読めばわかります。しかし、読まなければわかりません。全てはあなたが読むか読まないかにかかっているのです。
一度、聖書を読んでみませんか?
読んだうえでキリスト教を嫌うのであれば良いのですが、読んだことがないのにも関わらず嫌うのはお門違いです。一度聖書を読めば、聖書が本物であることがわかり、あなたの偏見も和らぐことでしょう。そしてあなたは聖書の虜となり、キリスト教を好ましく思うことでしょう。騙されたと思って、一度読んでみてください。聖書はネットで読めますし、書店にいけば購入できます。ネット注文もできるはずです。
大のキリスト教嫌いは一度「聖書」を読んでみてください!
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