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執筆者の写真鳥元 剛志 -torimoto tsuyoshi-

癒される為には「確信」が必要です!


神イエス・キリストはあなたの病を完璧に癒すことができます!嘘ではありません!本当です!イエスは不治の病をも癒すことができるお方です!イエス・キリストがあなたにとっての希望です!

あなたは今、何かの病の中にいらっしゃるでしょうか?


病気ってつらいものですよね。特に、その病気が重度であればあるほど、精神的にも肉体的にもつらいものです。病気で苦しむ時、人は「こんなにつらいなら、もう死んだ方がましだ」と言います。病気の中で希望を持ち続けることは非常に難しいことです。多くの人が病の中で絶望し、打ちひしがれています。


しかし、希望はあります!希望はまだあります!あなたの病は癒されます!どのようにか? それは「イエス・キリストによって」です! 神イエス・キリストはあなたの病を完璧に癒すことができます!嘘ではありません!本当です!イエスは不治の病をも癒すことができるお方です!イエス・キリストがあなたにとっての希望です!


あなたはイエス・キリストがあなたの病を癒すことができると信じますか?信じる者は癒されます!しかし、信じない者は癒されません!癒される為には「確信」が必要です!確信とは、イエス・キリストは必ず私の病を癒すことができると信じることです。キーポイントは「確信」です。次の聖書箇所を見てください。


新約聖書ルカの福音書7章1-10節

イエスは、耳を傾けている人々にこれらのことばをすべて話し終えると、カペナウムに入られた。時に、ある百人隊長に重んじられていた一人のしもべが、病気で死にかけていた。百人隊長はイエスのことを聞き、みもとにユダヤ人の長老たちを送って、自分のしもべを助けに来てくださいとお願いした。イエスのもとに来たその人たちは、熱心にお願いして言った。「この人は、あなたにそうしていただく資格のある人です。私たちの国民を愛し、私たちのために自ら会堂を建ててくれました。」そこで、イエスは彼らと一緒に行かれた。ところが、百人隊長の家からあまり遠くないところまで来たとき、百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスにこう伝えた。「主よ、わざわざ、ご足労くださるには及びません。あなた様を、私のような者の家の屋根の下にお入れする資格はありませんので。ですから、私自身があなた様のもとに伺うのも、ふさわしいとは思いませんでした。ただ、おことばを下さい。そうして私のしもべを癒やしてください。と申しますのは、私も権威の下に置かれている者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします。」イエスはこれを聞いて驚き、振り向いて、ついて来ていた群衆に言われた。「あなたがたに言いますが、わたしはイスラエルのうちでも、これほどの信仰を見たことがありません。」使いに送られた人たちが家に戻ると、そのしもべは良くなっていた。


この箇所に登場する百人隊長とは、ローマ帝国の兵隊です。当時、イスラエルはローマ帝国の支配下にあり、イスラエル人はローマ帝国を嫌っていました。もちろんイスラエル人はローマ帝国の兵隊も嫌っていました。しかし、この場面に登場するローマ帝国の兵隊はイスラエル人に親切にし、好感を持たれていました。そんな百人隊長のしもべが病気にかかりました。イエスのうわさを聞き付けた百院隊長は、イエスであればしもべの病を確実に癒すことができると信じ、ユダヤ人の長老を遣わします。ユダヤ人の長老が百人隊長の為に行動を起こしたことは驚くべきことです。百人隊長はイエスの御言葉だけを頂こうとしました。イエスであれば言葉一つでしもべの病を癒すことができると確信していたからです。彼の「確信」は本物でした。その信仰の故に、百人隊長のしもべは癒されました。このように、癒されるには「イエスは必ず私の病を癒すことができる」と信じることが必要です。イエスのお力を信じる者は癒されるのです!反対の事例を見てみましょう。


新約聖書マルコの福音書6章1-6節

イエスはそこを去って郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。安息日になって、イエスは会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのだろう。この人に与えられた知恵や、その手で行われるこのような力あるわざは、いったい何なのだろう。この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。イエスは彼らに言われた。「預言者が敬われないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」それで、何人かの病人に手を置いて癒やされたほかは、そこでは、何も力あるわざを行うことができなかった。イエスは彼らの不信仰に驚かれた。

それからイエスは、近くの村々を巡って教えられた。


イエスのことをよく知る故郷の人々は、イエスを神だとは信じることができませんでした。人々がイエスのことを信じなかった為に、イエスは奇跡を行うことができませんでした。「しなかった」のではなく「できなかった」のです。


イエス様はあなたを癒したいと心の中から願っておられますが、もしあなたがイエスを信じないのであれば、イエスは何も行うことができません。イエスはあなたが「確信」を持つことを待っておられます。イエス様はあなたを助ける準備はすでにできています。あとはあなた次第です。そうすれば、あなたは大いなる奇跡を体験することになるでしょう。イエスのお力を信じましょう。


あなたの病がキリストによって完璧に癒されますように。希望はまだあります。イエス・キリストがあなたにとっての希望です!!

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