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執筆者の写真鳥元 剛志 -torimoto tsuyoshi-

「こんな私なんか...」と言わず、自信を持って前へ進もう!!


神はあなたを大胆に用いられます。あなたには特別な使命があります。

とある高校の吹奏楽部にA子ちゃんという三年生の女の子がいました。彼女の担当楽器はサックス。三年生最後のコンクールで、なんと彼女は顧問の先生から「ソロ」をしてみないかと持ち掛けられました。「ソロ」とは、同じ楽器の中から一人だけが立ち上がり、主旋律を演奏する役割のことです。ソロはとにかく目立ちます。目立つ分、技術が問われる重要な役割となります。顧問の先生はA子ちゃんの三年間の努力と習得技術の高さから、A子ちゃんを「ソロ」として選任したのでした。これは非常に光栄なことです。なぜなら誰もが「ソロ」に選ばれたいと願って三年間の練習を必死に頑張るからです。しかし、A子ちゃんは「私なんかがソロなんて、、、無理です、、、」と先生からのお誘いを断ってしまいました。彼女は自分自身のことを"部の中で一番へたくそなサックス奏者"であると評価していました。実際は真逆で、彼女は"部の中で最も上手なサックス奏者"であったのにも関わらず。


「こんな私なんか、、、」と多くの人は言います。


このセリフはセルフイメージが低い人々によって頻繁に使用されます。彼らは、本当は優れた技術があるのに、優れた知識があるのに、優れた才能があるのに、自分を過小評価してしまうのです。自分に対する評価が低いあまり、人から褒められたり、認められたりしても、素直に受け入れることができません。自分に自信がないのです。


しかしながら、神様はあなたのことを決して過小評価なさいません。むしろあなたのことを過大評価なされます。神様はあなたのことを大いに用いたいと願っておられます。たとえあなたが「自分はその働きに相応しくない」と思っていたとしてもです。神様は罪人のあなたを大胆に用いられます。


新約聖書コリント人への手紙第一1章26-29節

兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。


新約聖書ヨハネの福音書15章16節

あなたがたがわたしをんだのではなく、わたしがあなたがたをび、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。


新約聖書エペソ人への手紙2章10節

実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。


神様は、この世では取るに足りない者、見下されている者、愚かな者、弱い者、無に等しい者をあえて選ばれ、大いに用いられます。私たち人間は神様によって造られた作品です。一人一人が真心を込めて造られた最高傑作です。神様は一人一人に特別な良い働きをあらかじめ用意されておられます。私たちにはやるべきことがあるのです。ですから、どうか「私なんかが、、、」という一言で神様からの選びを拒絶しないでください。神様は他でもない""あなた""を選んでおられるのです!他の人では代用できない特別な使命があなたにはあるのです!どうか自分自身のことを過小評価しないでください!神様の選びから逃げずに、真正面から向き合ってください!"あなた"には"あなた"にしかできない働きがあるのです!聖書には、この世では取るに足りなかった者が神様によって大胆に用いられたストーリーがたくさん登場します。たとえばイエス・キリストの一番弟子「ペテロ」もその一人です。


新約聖書ルカの福音書5章1-11節

さて、群衆が神のことばを聞こうとしてイエスに押し迫って来たとき、イエスはゲネサレ湖の岸辺に立って、岸辺に小舟が二艘あるのをご覧になった。漁師たちは舟から降りて網を洗っていた。イエスはそのうちの一つ、シモンの舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして腰を下ろし、舟から群衆を教え始められた。話が終わるとシモンに言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」そして、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになった。そこで別の舟にいた仲間の者たちに、助けに来てくれるよう合図した。彼らがやって来て、魚を二艘の舟いっぱいに引き上げたところ、両方とも沈みそうになった。これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して言った。「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」彼も、一緒にいた者たちもみな、自分たちが捕った魚のことで驚いたのであった。シモンの仲間の、ゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。


新約聖書マタイの福音書26章33-75節

すると、ペテロがイエスに答えた。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います。」ペテロは言った。「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみな同じように言った。

ペテロは外の中庭に座っていた。すると召使いの女が一人近づいて来て言った。「あなたもガリラヤ人イエスと一緒にいましたね。」ペテロは皆の前で否定し、「何を言っているのか、私には分からない」と言った。そして入り口まで出て行くと、別の召使いの女が彼を見て、そこにいる人たちに言った。「この人はナザレ人イエスと一緒にいました。」ペテロは誓って、「そんな人は知らない」と再び否定した。しばらくすると、立っていた人たちがペテロに近寄って来て言った。「確かに、あなたもあの人たちの仲間だ。ことばのなまりで分かる。」するとペテロは、噓ならのろわれてもよいと誓い始め、「そんな人は知らない」と言った。すると、すぐに鶏が鳴いた。ペテロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われたイエスのことばを思い出した。そして、外に出て行って激しく泣いた。


新約聖書ヨハネの福音書21章15-19節

彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」


ペテロは初めイスラエルのガリラヤ湖で魚を獲って生計を立てる「漁師」でした。彼は何か特別な才能があったわけではなく、ごく普通の一般人でした。そんな凡人の彼の人生はイエス・キリストと出会うことによって大きく一変することになります。イエスの言うことに従って網を投げると、なんと大量の魚が獲れたのです。彼はイエスに対してどこか神聖なものを感じたのでしょう。ペテロはひれ伏し「私は罪人ですから離れてください」と言います。イエスはそんな彼を「人を獲る漁師」として弟子に迎えました。「人を獲る」とは、イエスのことをまだ知らない人々にイエスのことを伝え、イエスへの信仰を持たせる働きのことを指します。イエスの弟子として召されたペテロは、イエスが十字架刑に処されるとき、イエスを「知らない」と言って裏切りました。もしこのタイミングで彼がイエスの弟子であることがバレれば、ペテロもイエスと同じように十字架刑に処されることになったからです。彼は自分の命とイエスへの信仰を天秤にかけ、自分の命を選んだのでした。十字架刑に処され、死に、三日目に復活されたイエス・キリストは、ペテロの前に姿を現し、ペテロの裏切りを赦し、ペテロを教会の牧者として任命されました。イエスが昇天された後、ペテロに聖霊が下り、彼は宣教者として多くの人々にイエスのことを宣べ伝えました。カトリック教会ではペテロを初代ローマ教皇であると認識しています。ペテロはごく普通の罪を抱えた漁師でしたが、神によって選ばれ、イエスを裏切るも赦され、神により大胆に用いられました。神様の目から見て「人の短所」は全く問題にならず、特別な何かも全く必要がないのです。


神様はペテロと同じように、あなたを大胆に用いたいと願っておられます。あなたは神様によって造られた最高傑作です。神様はあなたをあらかじめ選び出し、良い行いを備えてくださいました。あなたには特別の使命があります。どうか「私なんかが、、、」などと言わないでください!自信を持ってください!あなたは今のままで十分価値があります!自分のことを過小評価しないでください!神様はあなたのことを大いに過大評価されます!自分を信じるのではなく、あなたを造られた神様のことを信じてください!あなたにしかできない働きがあるのです!


さぁ!神様はあなたを呼んでおられます!前を向いて、自信を持って、一歩踏み出しましょう!!

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