あなたは聖書が好きですか? 聖書をどのぐらいの頻度で読みますか?聖書の中で好きな箇所はありますか?
聖書は永遠の大ベストセラーです。世界で最も売れた本であり、今なお最も売れ続けている本です。世界中の多くの人々がこぞって必死に聖書を読みます。聖書は書かれてからすでに1000年以上、旧約聖書においては2000年以上が経過しています。2000年以上も前に執筆された書籍が今なお多くの人々に読まれ続けているのは非常に驚くべきことです。なぜ聖書は長年、こんなにも多くの人々に読み続けられているのでしょうか。答えは簡単です。聖書が面白いからです。聖書には知恵深い教えがたくさん書かれていて、私たちの人生に多くの良い導きを与えてくれます。私たちが人生に悩む時、聖書を読むことで答えが得られます。多くの人々が聖書を読むのはその為です。聖書は私たちにとって人生のガイドブックのようなものです。その他、聖書を読むことで世界史や古代の人々についても深く学ぶことができます。聖書は歴史的にも重要な書物であるのです。
このように世界中の多くの人々が聖書を読んでいます。キリスト教では毎日かかさず聖書を読むことが推奨されています。また、聖書の内容を暗記し、いついかなる時も口ずさむように勧められています。つまり、世界中の様々な人々が毎日のように聖書を読んでいるのです。しかしながら、その読み方には注意が必要です。多くの人々は「聖書を読みさえすればいい」と思っていますが、それは大きな間違いです。聖書は読むだけではなく、人生のあらゆる側面に適用させて初めて価値が出るものです。ただ読むだけでは不十分です。次のイエス様の御言葉を見てください。
新約聖書ルカの福音書6章46-49節
なぜあなたがたは、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人がみな、どんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せても、しっかり建てられていたので、びくともしませんでした。しかし、聞いても行わない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家はすぐに倒れてしまい、その壊れ方はひどいものでした。」
イエス様は聖書の言葉を実践することの重要性を教えておられます。イエス様は「なぜ私の言うことをただ聞くだけで実際に行わないのですか」と言っておられます。聖書の言葉を聞いて実践する人は、岩の上に家を建てた人に似ており、その人は嵐(試練・困難)がやって来てもびくともしません。一方で聖書の言葉を聞いても実践しない人は、砂の上に家を建てた人に似ており、その人は嵐(試練・困難)がやって来るとすぐに倒れてしまいます。もし嵐が来なければ、両者共に何の問題もありません。しかし、私たちの人生には必ず嵐(試練・困難)が来るものです。嵐が来て初めて土台の真価が発揮されます。逆を言えば、土台の価値は嵐がくるまでわからないものです。ですから、多くの人々が聖書の言葉を実践することの重要性に気が付いていないのです。実際のところ、聖書の言葉を日々実践する者は、試練・困難にあってもびくともせず、その試練・困難を乗り越えることができます。しかし、聖書の言葉を日々実践しない者は、試練・困難にあうと心が折れてしまい、その試練・困難を乗り越えることができません。多くの人々が思っている以上に、聖書の言葉を実践することは非常に重要なことであるのです。次の聖書箇所を見てください。
新約聖書ヤコブの手紙1章22-27節
みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです。眺めても、そこを離れると、自分がどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。
自分は宗教心にあついと思っても、自分の舌を制御せず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。父である神の御前できよく汚れのない宗教とは、孤児ややもめたちが困っているときに世話をし、この世の汚れに染まらないよう自分を守ることです。
新約聖書ヤコブの手紙2章14-26節
私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。しかし、「ある人には信仰があるが、ほかの人には行いがあります」と言う人がいるでしょう。行いのないあなたの信仰を私に見せてください。私は行いによって、自分の信仰をあなたに見せてあげます。あなたは、神は唯一だと信じています。立派なことです。ですが、悪霊どもも信じて、身震いしています。ああ愚かな人よ。あなたは、行いのない信仰が無益なことを知りたいのですか。私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義と認められたではありませんか。あなたが見ているとおり、信仰がその行いとともに働き、信仰は行いによって完成されました。「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことが分かるでしょう。同じように遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したので、その行いによって義と認められたではありませんか。からだが霊を欠いては死んでいるのと同じように、信仰も行いを欠いては死んでいるのです。
ヤコブは「行い」の重要性をかなり強調しています。それは「救い」の問題にまで及んでいます。偉大なる使徒パウロは「信仰義認」を説きました。信仰義認とは、キリストを信じる信仰によって人は救われる(罪赦されて天国へ入る)という神学的理論です。ヤコブは、救いには「信仰」だけでなく「行い」も必要であると説きます。何が言いたいのかというと、「聖書の言葉を実践すること」は「救い」の問題にまで及ぶほど、非常に重要であるということです。よくよく考えれば、これはごく当たり前のことです。聖書には「隣人を自分自身のように愛しなさい」と書かれていますが、これを読んだ人が「あぁ良い教えだなぁ」と言ったきり実際に隣人を愛さないならば、この教えは何の意味もなしません。ただの綺麗ごと、たわ言で終わってしまいます。聖書を読んだ人が実際に「隣人を自分自身のように愛する」ようになって初めて、聖書の教えが本当に良い教えであると言うことができます。
新約聖書ヨハネの手紙第一3章18節
子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。
誰でも口先だけで「愛」を語ることは容易いですが、実際に人を「愛する」ことは誰にでもできることではありません。聖書の教えを口先で語るだけならば、誰にでもできます。実践あるのみです。聖書の言葉を実践する者となりましょう。そうすればあなたは、救われて永遠の天国へ入り、神様から大きな報いを受ける取ることでしょう。
新約聖書マタイの福音書25章31-46節
人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、羊を自分の右に、やぎを左に置きます。それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、わたしが裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからです。』すると、その正しい人たちは答えます。『主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。いつ、旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せて差し上げたでしょうか。
いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』それから、王は左にいる者たちにも言います。『のろわれた者ども。わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。おまえたちはわたしが空腹であったときに食べ物をくれず、渇いていたときに飲ませず、わたしが旅人であったときに宿を貸さず、裸のときに服を着せず、病気のときや牢にいたときに訪ねてくれなかった。』すると、彼らも答えます。『主よ。いつ私たちは、あなたが空腹であったり、渇いていたり、旅人であったり、裸でいたり、病気をしていたり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』すると、王は彼らに答えます。『まことに、おまえたちに言う。おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。』こうして、この者たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」
神様はあなたに行動して欲しいと願っておられます。決してただ聞くだけの者とならないでください。ただ聞いているだけならば、聖書の真の価値はわからないのです。行動を起こしましょう。今日読んだ聖書箇所の通りに生きてください。実践してください。あなたを通して神様の生きた言葉が世の中に広がりますように。
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