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あなたがどんなに罪深くても、神はあなたを赦される


たとえあなたがどんなに罪深くても、神はあなたの罪を完璧に赦される

あなたはどのような罪を犯したことがありますか?


殺人、強盗、放火、強制性交等(強姦)、暴行、傷害、脅迫、恐喝、凶器準備集合、窃盗、詐欺、横領、偽造、汚職、背任、賭博、わいせつ、公務執行妨害、住居侵入、逮捕監禁、器物損壊、占有離脱物横領、道路交通法違反、覚せい剤取締法違反、売春防止法違反など、これら全ては犯罪です。


これらの罪を犯した場合、刑罰が伴います。刑法で定められている刑の種類は、①死刑、②懲役、③禁錮、④拘留、⑤罰金、⑥科料、⑦没収、の7種類です。


あなたは上記の内いづれかの罪を犯したことがあるでしょうか。また、上記にはあてはまらない類の罪もあります。それは聖書に記載されている罪です。聖書には日本の刑法に当てはまらない罪がたくさん記載されています。例えば「モーセの十戒」というものがあります。その内容は以下の通りです。


【モーセの十戒】

1あなたは、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

2あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。

3あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

4安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

5あなたの父と母を敬え。

6人を殺してはならない。

7姦淫してはならない。

8盗んではならない。

9あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

10あなたの隣人のものを欲しがってはならない。


聖書では上記のような戒めを破ることを「罪」と定めています。罪の報酬は死であり、死をもって償わなければなりません。聖書には多くの罪が記載されており、ここで全てを列挙することは割愛させて頂きます。


聖書には次ようなことが書かれています。


新約聖書ローマ人への手紙3章9-18節

では、どうなのでしょう。私たちにすぐれているところはあるのでしょうか。全くありません。私たちがすでに指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も、すべての人が罪の下にあるからです。次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。すべての者が離れて行き、だれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。」「彼らの喉は開いた墓。彼らはその舌で欺く。」「彼らの唇の下にはまむしの毒がある。」「彼らの口は、呪いと苦みに満ちている。」「彼らの足は血を流すのに速く、彼らの道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。」「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」


聖書は「全ての人間は罪人である」と言います。実際、罪を犯さない完璧に聖い人(義人)はこの世界に存在しません。全ての人は心の中に罪を持っており、汚れています。全ての人間が罪の支配下にあります。そして、罪に大小はありません。


新約聖書ヤコブの手紙2章10,11節

律法全体を守っても、一つの点で過ちを犯すなら、その人はすべてについて責任を問われるからです。「姦淫してはならない」と言われた方は、「殺してはならない」とも言われました。ですから、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者になっているのです。


日本の刑法では罪に大小が定められていますが、聖書では罪に大小はありません。たとえ一般常識的に小さいとみなされる罪でも、罪は罪です。普通に考えれば、「窃盗」よりも「殺人」の方が罪は大きいと思われがちですが、聖書は「窃盗」も「殺人」も同じ大きさの罪であると言います。神の目から見て罪に大小はないのです。つまり何が言いたいのかというと、この記事を読んでいるあなたは”罪人”であるということです。たとえ警察に逮捕されるほどの罪を犯したことがなくても、あなたは罪人です。あなたは嘘をついたことがありますか? おそらく嘘をついたことがあるはずです。嘘は罪です。一回でも嘘をついたことがあるあなたは、まぎれもなく罪人であるのです。罪の報酬は死です。罪人は死をもって償わなければならないのが聖書の掟です。ここでいう「死」とは「地獄」のことです。罪人は、死んだ後、地獄へ行くことによって罪を償わなければなりません。結局のところ、全ての人間は罪人であるので、全ての人間は地獄へ落ちる運命にあります。絶望的な状況ですね。


しかしです!神様はあなたの罪を赦したいと望んでおられます!たとえあなたがどれだけ罪深かったとしても、もしあなたが神に罪を告白し、赦しを請うならば、神はあなたの罪を完璧に赦されます。


新約聖書ローマ人への手紙3章19-30節

 私たちは知っています。律法が言うことはみな、律法の下にある者たちに対して語られているのです。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。

 しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。そこに差別はありません。

すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを示すため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それは取り除かれました。どのような種類の律法によってでしょうか。行いの律法でしょうか。いいえ、信仰の律法によってです。人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると、私たちは考えているからです。それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもあるのではないでしょうか。そうです。異邦人の神でもあります。神が唯一なら、そうです。神は、割礼のある者を信仰によって義と認め、割礼のない者も信仰によって義と認めてくださるのです。


新約聖書ヨハネの手紙第一1章5-10節

 私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。


新約聖書エペソ人への手紙2章1-10節

 さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。


神は滅びる運命にある私たち人間を救う為に、御子イエス・キリストを世に遣わし、人間の罪に対する生け贄として御子を十字架の上に捧げられました。十字架刑に処されたイエス・キリストは死に、そして三日目に復活され、天に昇り、神の右の席に座られました。イエス・キリストへ罪の赦しを請う者は、御子イエス・キリストという捧げ物の故に、罪が赦されます。罪が赦された者は、もはや地獄へ落ちることはなく、死んだ後、永遠の天国へと入ることができます。


神様は、非常に罪深い極悪人でさえも赦されます。あなたはもしかすると、取り返しのつかないような犯罪に手を染めたことがあるかもしれません。あなたの罪は非常に重いかもしれません。しかし、神様はあなたの罪を完璧に赦し、あなたの真っ黒に染まった手を真っ白に洗い聖めることがおできになります。


旧約聖書イザヤ書1章18節

「さあ、来たれ。論じ合おう。──主は言われる──たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。


神様に罪の赦しを請いましょう。そうすれば、あなたの罪は完璧に赦されます。あなたは自分の罪の大きさに打ちひしがれ、罪悪感にさいなまれていらっしゃるかもしれません。しかし大丈夫です。神様はあなたの「罪深さ」をも益とし、そこから最善を引き出すことができます。次の聖書箇所を見てください。


新約聖書ルカの福音書7章36-50節

 さて、あるパリサイ人が一緒に食事をしたいとイエスを招いたので、イエスはそのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。すると見よ。その町に一人の罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油の入った石膏の壺を持って来た。そしてうしろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらイエスの足を涙でぬらし始め、髪の毛でぬぐい、その足に口づけして香油を塗った。イエスを招いたパリサイ人はこれを見て、「この人がもし預言者だったら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っているはずだ。この女は罪深いのだから」と心の中で思っていた。するとイエスは彼に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがあります」と言われた。シモンは、「先生、お話しください」と言った。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリ、もう一人は五十デナリ。彼らは返すことができなかったので、金貸しは二人とも借金を帳消しにしてやった。それでは、二人のうちのどちらが、金貸しをより多く愛するようになるでしょうか。」シモンが「より多くを帳消しにしてもらったほうだと思います」と答えると、イエスは「あなたの判断は正しい」と言われた。それから彼女の方を向き、シモンに言われた。「この人を見ましたか。わたしがあなたの家に入って来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、彼女は涙でわたしの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐってくれました。あなたは口づけしてくれなかったが、彼女は、わたしが入って来たときから、わたしの足に口づけしてやめませんでした。あなたはわたしの頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、彼女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」そして彼女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。すると、ともに食卓に着いていた人たちは、自分たちの間で言い始めた。「罪を赦すことさえするこの人は、いったいだれなのか。」イエスは彼女に言われた。「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」


ある日、厳格なユダヤ教の一派であるパリサイ派の男性シモンがイエスを自宅に招きます。この時、シモンは客人をもてなす際の当時のしきたりを何一つ行いませんでした。なぜなら、シモンはイエスを見下していたからです。ここへ一人の罪深い女が二人の元に現れます。彼女はシモンの行動と対照的にイエスを当時のしきたりに乗っ取って大歓迎します。彼女は感動していました。なぜなら、彼女は自分の罪がイエスによって赦されることを信じていたからです。イエスは彼女の行動をお褒めになられます。この時のイエスの御言葉に注目してください。イエスは「この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」と言われました。つまり、多くの罪を赦された者は、イエスを深く愛するようになるということです。


神様はあなたの「罪深さ」を益としてくださいます。多くの罪を赦された者は、より熱心にイエスを愛するようになります。信仰熱心な者の中に、過去に極悪人だった者が多いのもそのためです。もしかするとあなたは極悪人かもしれません。しかし、神様はそんなあなたの罪を完璧に赦し、ご自分の働きに招いておられます。もはや自分の罪の大きさに打ちひしがれたり、罪悪感を感じなくて大丈夫です。そんなあなただからこそ、神様はあなたを大胆に用いられます。神様には「あなた」が必要です。神様に全てを捧げてください。神様を愛し、神様に仕えてください。日々、神様の為に働いてください。それは「罪深いあなた」だから可能なことです。多くを赦されたあなただからこそ、イエス様を深く愛せるのです。これは特権です。多くを赦された神の恵みに感謝しましょう!あなたが神様よって大胆に用いられますように!お祈りしています!!

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