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罪を悔い改めて聖い生活を歩みなさい!


罪を悔い改めて聖い生き方を歩みなさい!

あなたは自分が"罪人"であると思いますか?


多くの人は、まさか自分が罪人であるなどとは考えてもいません。私たちが暮らすこの世界は比較社会です。「あいつと比べれば俺は全然悪くない!俺はいいやつだ!」とほとんどの人が他人と比較して自己評価をします。確かに、周りにいる人々と比べれば、あなたはいい人なのかもしれません。しかし、胸に手を当ててよく考えてみてください。本当にあなたは良い人ですか?本当にあなたの心は完璧に聖いですか?おそらくそうではないはずです。永遠の大ベストセラーである聖書は言います。「全ての人間は罪人である」と。


新約聖書ローマ人への手紙3章9-18節

 では、どうなのでしょう。私たちにすぐれているところはあるのでしょうか。全くありません。私たちがすでに指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も、すべての人が罪の下にあるからです。次のように書いてあるとおりです。

「義人はいない。一人もいない。

 悟る者はいない。

 神を求める者はいない。

 すべての者が離れて行き、

 だれもかれも無用の者となった。

 善を行う者はいない。

 だれ一人いない。」

「彼らの喉は開いた墓。

 彼らはその舌で欺く。」

「彼らの唇の下にはまむしの毒がある。」

「彼らの口は、呪いと苦みに満ちている。」

「彼らの足は血を流すのに速く、

 彼らの道には破壊と悲惨がある。

 彼らは平和の道を知らない。」

「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」


実際のところ、この世界に完璧に正しい者は一人もいません。完璧な善人など存在しません。全ての人が罪人であり、聖くありません。99%聖い人でも、1%の罪があるならば、その人は罪人です。0.1%の罪があり、残りの99.9%が聖くても、その人は罪人です。つまり、まぎれもなく、あなたも"罪人"であるのです。じつは、罪人は死んだあと永遠の地獄へと行く運命にあります。あなたはこのままでは地獄へ行ってしまいます。今のままではダメなのです。ではどうすれば良いのか?罪を悔い改めれば良いのです。まずは自分が罪人であることを認めることが出発地点です。


新約聖書ヨハネの手紙第一1章8節

もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。


新約聖書ガラテヤ人への手紙5章19-21節

肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。


あなたは罪人です。あなたは自分が罪人であることを認めることができましたか?自分の罪を認めることができたならば、次はイエス・キリストを受け入れましょう。


新約聖書使徒の働き2章38節

そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。


新約聖書ローマ人への手紙4章25節

主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。


新約聖書ローマ人への手紙3章23,24節

すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。


人はイエス・キリストを神と信じることにより、イエス・キリストによって罪赦され、聖霊が与えられます。イエス・キリストを信じる者は、神様から無条件に「完璧に聖い者」と認められます。完璧に聖い者は、死んだあと永遠の天国へと入ることができます。なぜイエス・キリストを神と信じる者は罪が赦されるのか?それは神であられるイエス・キリストがご自身を人間の罪に対する生け贄として十字架の上に捧げられたからです。イエス・キリストという尊い捧げものによって人間の罪が完璧に赦されたのです。キリストを信じることによって罪が赦され、聖霊が与えられた者に神様が求められるのは「聖い人生を歩むこと」です。


新約聖書ローマ人への手紙6章12-19節

 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪に支配させて、からだの欲望に従ってはいけません。また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。罪があなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下にではなく、恵みの下にあるのです。

 では、どうなのでしょう。私たちは律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから、罪を犯そう、となるのでしょうか。決してそんなことはありません。あなたがたは知らないのですか。あなたがたが自分自身を奴隷として献げて服従すれば、その服従する相手の奴隷となるのです。つまり、罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至ります。神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規範に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となりました。あなたがたの肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。以前あなたがたは、自分の手足を汚れと不法の奴隷として献げて、不法に進みました。同じように、今はその手足を義の奴隷として献げて、聖潔に進みなさい。


「聖い人生を歩む」とは、今までの罪深い生き方を完全に捨て去ることに他なりません。バプテスマのヨハネによるメッセージを見てみましょう。


新約聖書ルカの福音書3章7-14節

 ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしの子孫たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。」群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは答えた。「下着を二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」取税人たちもバプテスマを受けにやって来て、ヨハネに言った。「先生、私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは彼らに言った。「決められた以上には、何も取り立ててはいけません。」兵士たちもヨハネに尋ねた。「この私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、金を力ずくで奪ったり脅し取ったりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」


罪の悔い改めに導く洗礼(バプテスマ)を受ける為に多くの人がバプテスマのヨハネの元に集まりました。バプテスマのヨハネはかなり厳しい口調で群衆を責め立てます。当時、イスラエルの民はアブラハムの子孫だということを誇りにしており、血統を救いの証拠にしていました。しかしヨハネは「アブラハムの子孫だからなんだというのだ。大事なのは血統ではなく、行動だ!本当にあなたがたが救われているというのなら、罪を悔い改めた者にふさわしい行動をしなさい!たとえアブラハムの子孫だろうと、そんなことに関係なく、悪い行動をとる者は神によって最終的に滅ぼされるのだ!」と叱責します。この叱責に応答した民はどうすればよいかヨハネに問います。ヨハネの回答は「隣人を自分自身のように愛しなさい」でした。つまりここからわかることは、聖い生き方とは隣人を愛することであるのです。


新約聖書マタイの福音書22章36-40節

「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」


新約聖書ヨハネの福音書13章34,35節

わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」


私たちキリスト者には「神を愛し、隣人を愛する」という使命が与えられています。この生き方こそ、聖い生き方に他なりません。ここでいう愛とはギリシャ語のアガペー(無条件)です。無私の愛とも言います。自分を犠牲にして、相手の幸せの為に行動することが”愛”です。イエス・キリストは私たちにとっての究極の”愛のお手本”です。


新約聖書ヨハネの福音書15章13節

人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。


イエス様は、私たちが罪によって滅びないように、私たちの為に命をも投げ出してくださいました。人を救うために命を投げ出すこと、これこそ真実の愛です。この類の愛を実践する為には自分を捨てなければなりません。自己中心的でいては成せないのです。


あなたは神を愛し、隣人を自分自身のように愛しているでしょうか?


神はあなたに罪深い生き方を悔い改めて、聖い生き方を歩むように願っておられます。今日、あなたが悔い改めなければならない罪は何でしょうか。捨て去らなければならない古い習慣は何でしょうか。聖さを追い求める者となりましょう。神は聖いお方であられますから、あなたにも同じように聖さを求められます。神様と共に、イエス様と共に、聖霊様と共に、全き聖さの内を歩もうではありませんか。

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