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執筆者の写真鳥元 剛志 -torimoto tsuyoshi-

神の奇跡を単なるラッキーで終わらせてよいものか?


神の奇跡を体験するとき神を崇め、褒めたたえ、感謝し、神への信仰を強めることができます。

神様は奇跡を起こされるお方です。奇跡とは、人間の力や自然法則を超え、神など超自然のものとされるできごとのことです。聖書において、神の奇跡は至るところで見られます。その多くは、普通に考えれば信じがたいものばかりです。神様が起こされる奇跡は人間の力や自然法則を超越するので、私たち人間の頭では理解することができません。だからこそ、それを『奇跡(miracle)』と呼ぶのです。


あなたが神の奇跡を体験するとき、あなたはどのような反応をするでしょうか?


多くの人は心の中で叫びます。「ラッキーーー!!!」。あまりにも嬉しくて大声で叫ぶ方もいらっしゃることでしょう。しかしながら、神の奇跡を単なるラッキーで終わらせてよいのでしょうか。


聖書には、神の奇跡を体験し、異なる反応を示した女性が二人登場します。一人は神であられるイエス・キリストの母マリア、もう一人は偉大な預言者サムエルの母ハンナです。彼女らは神の奇跡を体験したとき、「ラッキー!」というのではなく、天地をお造りになられた神様を崇め、褒めたたえ、神様への信仰をより強めました。


新約聖書ルカの福音書1章46-56節

マリアは言った。

「私のたましいは主をあがめ、

 私の霊は私の救い主である神をたたえます。

 この卑しいはしために

 目を留めてくださったからです。

 ご覧ください。今から後、どの時代の人々も

 私を幸いな者と呼ぶでしょう。

 力ある方が、

 私に大きなことをしてくださったからです。

 その御名は聖なるもの、

 主のあわれみは、代々にわたって

 主を恐れる者に及びます。

 主はその御腕で力強いわざを行い、

 心の思いの高ぶる者を追い散らされました。

 権力のある者を王位から引き降ろし、

 低い者を高く引き上げられました。

 飢えた者を良いもので満ち足らせ、

 富む者を何も持たせずに追い返されました。

 主はあわれみを忘れずに、

 そのしもべイスラエルを助けてくださいました。

 私たちの父祖たちに語られたとおり、

 アブラハムとその子孫に対するあわれみを

 いつまでも忘れずに。」

マリアは、三か月ほどエリサベツのもとにとどまって、家に帰った。


旧約聖書サムエル記第一2章1-11節

ハンナは祈った。

「私の心は主にあって大いに喜び、

 私の角は主によって高く上がります。

 私の口は敵に向かって大きく開きます。

 私があなたの救いを喜ぶからです。

 主のように聖なる方はいません。

 まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。

 私たちの神のような岩はありません。

 おごり高ぶって、

 多くのことを語ってはなりません。

 横柄なことばを口にしてはなりません。

 まことに主は、すべてを知る神。

 そのみわざは測り知れません。

 勇士が弓を砕かれ、

 弱い者が力を帯びます。

 満ち足りていた者がパンのために雇われ、

 飢えていた者に、飢えることがなくなります。

 不妊の女が七人の子を産み、

 子だくさんの女が、打ちしおれてしまいます。

 主は殺し、また生かします。

 よみに下し、また引き上げます。

 主は貧しくし、また富ませ、

 低くし、また高くします。

 主は、弱い者をちりから起こし、

 貧しい者をあくたから引き上げ、

 高貴な者とともに座らせ、

 彼らに栄光の座を継がせます。

 まことに、地の柱は主のもの。

 その上に主は世界を据えられました。

 主は敬虔な者たちの足を守られます。

 しかし、悪者どもは、闇の中に滅び失せます。

 人は、自分の能力によっては勝てないからです。

 主は、はむかう者を打ち砕き、

 その者に天から雷鳴を響かせられます。

 主は地の果ての果てまでさばかれます。

 主が、ご自分の王に力を与え、

 主に油注がれた者の角を

 高く上げてくださいますように。」

エルカナはラマにある自分の家に帰った。幼子は、祭司エリのもとで主に仕えていた。


処女マリアの元に天使ガブリエルが現れ、これから聖霊によって身ごもることを宣告します。マリアには婚約者がいましたが、まだ肉体関係を持つには及んでいませんでした。しかもマリアから生まれる子は、ごく普通の平凡な子ではなく、神であり、世の救い主であるとのことでした。天使ガブリエルの宣告の通り、その後、処女マリアは聖霊によって身ごもったのでした。


エルカナには二人の妻がいました。一人はハンナ、もう一人はペニンナと言い、ペニンナには子供がいましたが、ハンナは不妊の女で子供がいませんでした。ペニンナは不妊のハンナを子供ができないという理由でひどくいじめました。ハンナは神様に必死にお祈りしました。すると神様はハンナの祈りを聞かれ、ハンナにサムエルが生まれました。念願の子供を授かったハンナは、生まれてきたサムエルを神様にお捧げしたのでした。


マリアも、ハンナも、神の奇跡を体験し、神を崇め、褒めたたえ、神への信仰をより強くしました。彼女たちは、そうせずにはいられなかったのです。なぜなら、神が引き起こされた奇跡は、彼女らの想像をはるかに超えたものだったからです。彼女らは「奇跡」を"偶然"と捉えるのではなく、神様による"必然"として受け入れたのでした。


あなたはどうでしょうか?


神の奇跡はあなたの神への信仰をより強めますか?それとも、ただのラッキーなこととして、自分に何の影響も与えないでしょうか?ルカの福音書17章に衝撃的なストーリーがあります。


新約聖書ルカの福音書17章11-19節

さて、イエスはエルサレムに向かう途中、サマリアとガリラヤの境を通られた。ある村に入ると、ツァラアトに冒された十人の人がイエスを出迎えた。彼らは遠く離れたところに立ち、声を張り上げて、「イエス様、先生、私たちをあわれんでください」と言った。イエスはこれを見て彼らに言われた。「行って、自分のからだを祭司に見せなさい。」すると彼らは行く途中できよめられた。そのうちの一人は、自分が癒やされたことが分かると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリア人であった。すると、イエスは言われた。「十人きよめられたのではなかったか。九人はどこにいるのか。この他国人のほかに、神をあがめるために戻って来た者はいなかったのか。」それからイエスはその人に言われた。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」


驚くべきことに、このストーリーでは、イエス様によって病気が癒された10人の内1人だけが神を崇め、褒めたたえました。他の9人は「ラッキー!」と叫び、走り去っていきました。神の奇跡を体験するとき、信仰をより強める人は少数派なのです。私はあなたがこの少数派に入ることを願います。神の奇跡を通して、神を崇め、褒めたたえ、感謝し、神への信仰をより強める幸いな者となりましょう!

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