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あなたの目には隣の芝が青く見えるか?


隣の芝は青く見える

「隣の芝は青く見える」という諺(ことわざ)があります。「隣の芝は青く見える」とは、自分のものよりも他人のものが良く見えてしまう心理を表す諺です。実際のところ私たちは、自分のものよりも他人のものの方がより良く見えてしまうものです。


ある子供が戦隊ヒーローのおもちゃを両親に買ってもらいました。そのおもちゃは最近子供たちの間で大流行りの戦隊系テレビ番組のもので、けっこうな値段がしました。その値段の高さに驚いた両親は初め、そのおもちゃは買わないと子供に言っていましたが、あまりにも子供がせがんでくるので、ついには根負けして、おもちゃを買ってあげたのでした。その子供は両親に買ってもらった新品のおもちゃを友達に自慢したくて、おもちゃを片手に友達の家に遊びに行きました。「ほら見て!お父さん、お母さんに買ってもらったんだー!いいでしょー!?」。しかし、その家に集まった子供たちは全く聞く耳を持ちません。それもそのはず。彼らはその家の両親が子供に買い与えたアメリカ産の超巨大ラジコンカーに夢中だったからです。自分のおもちゃを自慢しようとしていた子供は、両親が買ってくれた高価なおもちゃを手放し、すぐにアメリカ産の超巨大ラジコンカーに夢中になってしまいました。家に帰ったその子は両親にせがみます。「僕もラジコンカーが欲しい!ねぇ!ラジコンカー買って!お願い!」。両親はすかさず聞き返します。「あなた、このあいだ買ってあげた戦隊ヒーローのおもちゃはどうしたの?あれ高かったのよ!?」。「えぇ、お母さん、あのおもちゃ、もう飽きちゃったよ。もういらない。ねぇ、ラジコンカー買って!ねぇ、お願い!」。


隣の芝が青く見えるのは、何も子供だけではありません。私たち大人も、子供のように、隣の芝が青く見えるものです。ある人は隣の人が持っている車に。ある人は隣の人が持っている家に。恋人に。家族に。仕事に。趣味に。お金に。容姿に。才能に。人気に。友達に。高級品に。羨ましく思い、嫉妬するものです。永遠の大ベストセラーである聖書にはこうあります。


申命記5章21節

あなたの隣人の妻を欲してはならない。あなたの隣人の家、畑、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲しがってはならない。」


つまり、”他人をうらやましく思ってはならない”ということです。なぜでしょうか?なぜ私たちは、他人のことをうらやましく思ってしまうのでしょうか?


答えは簡単です。"自分が持っているものに満足していないから"です。もし自分の持っているものに満足しているなら、他人のことをうらやむことはないと思います。自分の現状に不満があるからこそ、他人に嫉妬するのです。聖書は嫉妬しない為に「今持っているもので満足すること」を教えています。


新約聖書へブル人への手紙13章5節

金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。


新約聖書テモテへの手紙第一 6章6-8節

しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。


新約聖書コリント人への手紙第二12章9節

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。


実際のところ、神様は私たちが生活するうえで必要なものを全て与えてくださっています。私たちには何一つとして足らないものはありません。神様の恵みはすでに私たちに十分です。それ以上のものは私たちには必要ないのです。私たちが神様から与えられている現状に満足するならば、他人への嫉妬心は消えることでしょう。他人への嫉妬心から解放されると、神様への感謝の気持ちで日々が満たさ、最高の人生を送ることができます。


「そんなの無理だ!」と思いますか?


私たちは新約聖書ルカの福音書に登場するエリサベツの姿勢に見習うことができます。


新約聖書ルカの福音書1章39-45節

 それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」


祭司ザカリヤと妻エリサベツの高齢夫婦の元に天使ガブリエルがやって来て、子供が生まれることを宣告します。しかも普通の子ではありません。その子は、世の救い主であられるイエス・キリストがこの世にやってくる為の準備を整える子になるというのです。それだけではありません。エリサベツの親戚マリアに神であるイエス・キリストが宿っているというのです。エリサベツとマリアが天使ガブリエルの宣告の通り身ごもった後、マリアは親戚エリサベツの元を訪れます。エリサベツは親戚の若い女の子であるマリアを「私の主の母」と呼び、祝福しました。このエリサベツの取った行動には目を見張るものがあります。なぜなら、彼女は世の救い主イエス・キリストの母として選ばれたマリアをうらやましく思わなかったからです。普通であれば嫉妬します。自分の子供が、親戚の年下の女の子から生まれてくる子の準備を整えるなんて、普通であれば嫌な気持ちになるはずです。しかしエリサベツは自分に与えられた状況に満足しました。満足したからこそマリアの置かれた状況を受け入れ、祝福できたのです。私たちはエリサベツの姿勢に見習うことができます。


あなたはエリサベツと同じ状況に置かれた時、同じような行動をとれるでしょうか。自分の現状に不満がある者はできません。しかし、自分の現状に深く満足している者にはできます。自分の置かれた状況は全て神様によって与えられたものであり、全ては最善であると信じて、自分の人生に深く満足していきましょう。そうすれば嫉妬・比較の呪縛から解放され、自由になることができ、最高の人生を歩むことができることでしょう。


神様の恵みはあなたに十分です!今持っているもので満足していきましょう!PRAISE GOD!!!

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