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"神は必ず私を天国へ導かれる"と確証しますか?


イエス・キリストを信じる者は必ず天国に入ることができます

あなたは死んだ後どうなりますか?無になりますか?仏になりますか?輪廻転生しますか?神になりますか?あなたはどうなりますか?


永遠の大ベストセラーである聖書は「人は死んだ後、天国か地獄のどちらかに行くことになる」と言います。聖書に書かれていることは全て真実です。つまり、あなたは死ぬと天国か地獄のどちらかに行くことになります。あなたは死んだ後どちらに行きますか?


人が天国に行くのか、地獄に行くのかを左右する一つの要素があります。それは『罪』です。天国は聖い場所です。全き聖さで満ち溢れた天国に罪人は入ることができません。天国は完全に聖い者だけが入ることが赦される場所です。


人間は生まれながらにして『罪人』です。私たちの中には罪があり、私たちは罪の故にけがれています。つまり、人はそのままの状態では天国に入ることができないのです。天国に入れないということは、地獄に行くことを意味します。そう、あなたは死んだら地獄に行くのです。


自分が地獄に行くと聞いて、さぞ驚かれたことでしょう。しかし、これは事実です。あなたは本当に地獄に行くのです。罪人でない人はこの世界に一人もいません。全ての人が罪人です。まぎれもなく【あなた】も罪人なのです。


そんなあなたに朗報です。ひとつだけ、罪人のあなたが天国に行ける方法があります。それは『イエス・キリストを信じることによって』です。神であられるイエス・キリストは、自分自身を人間の罪に対する生け贄として十字架の上にお捧げになられ、死んだ後、三日目に復活されました。イエス・キリストというなだめの捧げものによって人間の罪は完璧に赦されました。今も生きておられる神イエス・キリストを信じることによって、私たちの罪は赦され、聖められ、死んだ後、永遠の天国へと入ることができます。


「イエス・キリストを信仰する者は必ず天国へ入ることができる」というのが神様の約束です。神様は必ず約束を守られる誠実なお方です。神様が約束を破られることは決してありません。神様の御名を呼び求める者は確かに救われます。新約聖書ルカの福音書を見てみましょう。


新約聖書ルカの福音書1章67-80節

さて、父親のザカリヤは聖霊に満たされて預言した。

「ほむべきかな、イスラエルの神、主。

 主はその御民を顧みて、贖いをなし、

 救いの角を私たちのために、

 しもべダビデの家に立てられた。

 古くから、その聖なる預言者たちの口を通して

 語られたとおりに。

 この救いは、私たちの敵からの、

 私たちを憎むすべての者の手からの救いである。

 主は私たちの父祖たちにあわれみを施し、

 ご自分の聖なる契約を覚えておられた。

 私たちの父アブラハムに誓われた誓いを。

 主は私たちを敵の手から救い出し、

 恐れなく主に仕えるようにしてくださる。

 私たちのすべての日々において、

 主の御前で、敬虔に、正しく。

 幼子よ、あなたこそ

 いと高き方の預言者と呼ばれる。

 主の御前を先立って行き、その道を備え、

 罪の赦しによる救いについて、

 神の民に、知識を与えるからである。

 これは私たちの神の深いあわれみによる。

 そのあわれみにより、

 曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、

 暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、

 私たちの足を平和の道に導く。」

幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に現れる日まで荒野にいた。


この聖書箇所は、高齢夫婦のザカリヤとエリサベツの元に"バプテスマのヨハネ"が生まれた時に、祭司ザカリヤが発した言葉です。彼は、神が大昔になされた約束をしっかり果たしてくださったことに感謝し、神を褒めたたえています。神は旧約聖書の時代、『ダビデ王の子孫から救い主を世に送ること、また、その前に"下準備を整える者"も同時に世に送ること』をイスラエルの民に約束されていました。この約束は本当に実現しました。バプテスマのヨハネが下準備を整え、ダビデの子孫からイエス・キリストが誕生しました。


神様は確かに約束を守られるお方です。イエス・キリストを信じる者は、必ず天国へ行くことができます。この約束は絶対です。神様が約束を破られることなど絶対にありえません。あなたは死後どうなるでしょうか?イエス・キリストを信じて天国へ行きませんか?神様はイエスを信じる者を必ず天国へ導いてくださいます!あなたが死ぬ前に、自分の死後をはっきりさせておくことは、あなたにとって非常に重要なことだと私は思います!キリストがあなたを呼んでいます!!


新約聖書ヨハネの福音書14章6節

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。

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