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執筆者の写真鳥元 剛志 -torimoto tsuyoshi-

罪を悔い改めてバプテスマ(洗礼)を受けよ!


バプテスマ(洗礼)を受ける者は新しく生まれ変わります!

イエス・キリストはあなたに言われます!


「罪を悔い改めてバプテスマ(洗礼)を受けなさい!」と。


正式なキリスト教信者になる為には「洗礼」という儀式を受ける必要性があります。洗礼とは、"水の中に沈める"という意味であり、浸水(身体を水に浸す)または灌水(頭部に水を注ぐ)や滴礼(頭部に手で水滴をつける)によって行われます。洗礼という儀式には様々な意味があります。


①罪の悔い改めの象徴として


新約聖書マルコの福音書1章4-8節

バプテスマのヨハネが荒野に現れ、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。ユダヤ地方の全域とエルサレムの住民はみな、ヨハネのもとにやって来て、自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。ヨハネはらくだの毛の衣を着て、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。ヨハネはこう宣べ伝えた。「私よりも力のある方が私の後に来られます。私には、かがんでその方の履き物のひもを解く資格もありません。私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、この方は聖霊によってバプテスマをお授けになります。」


イエス・キリストが地上にやって来られる少し前に、洗礼者ヨハネという人物が現れ、人々に洗礼を授けました。ここでは"罪の悔い改めの象徴"としての洗礼が授けられていました。人々はヨハネから洗礼を授かることにより、今までの罪深い生き方をやめる決心をしたのでした。


②神に対する誓約として


新約聖書ペテロの手紙第一3章21節

この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです。バプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して行う誓約です。


洗礼式は神に対する誓約の時です。結婚式でも誓約の時を持ちますよね。結婚式では、結婚相手への永遠の愛を誓約します。結婚式と同じように、洗礼式では神に対する永遠の愛を誓約します。だからこそ、正式なキリスト教信者になる為の儀式となりえるのです。


③罪の赦しと聖霊を受け取る為に


新約聖書使徒の働き2章38節

そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。


新約聖書マルコの福音書16章16節

信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。


新約聖書ルカの福音書3章21,22節

さて、民がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマを受けられた。そして祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」


洗礼式という儀式によってでは「罪の赦し」と「聖霊」は与えられません。あくまで「罪の赦し」と「聖霊」は神(イエス・キリスト)によって与えられます。しかしながら、洗礼式とは神への信仰を公に表明するときです。神への信仰を表明するとき、神によって「罪の赦し」と「聖霊」が与えられます。洗礼式は「罪の赦し」と「聖霊」を受け取るときでもあるのです。


④新しく生まれ変わる時として


新約聖書ローマ人への手紙6章3-11節

それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。死んだ者は、罪から解放されているのです。私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。私たちは知っています。キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはありません。死はもはやキリストを支配しないのです。なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。


新約聖書コロサイ人への手紙2章11-15節

キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨てて、キリストの割礼を受けたのです。バプテスマにおいて、あなたがたはキリストとともに葬られ、また、キリストとともによみがえらされたのです。キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じたからです。背きのうちにあり、また肉の割礼がなく、死んだ者であったあなたがたを、神はキリストとともに生かしてくださいました。私たちのすべての背きを赦し、私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。そして、様々な支配と権威の武装を解除し、それらをキリストの凱旋の行列に捕虜として加えて、さらしものにされました。


新約聖書コリント人への手紙第二5章17節

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


人はキリストを信じ、洗礼を授かることにより、新しく生まれ変わります。洗礼式は、罪深い生き方をしていた過去の自分を全て水で洗い流し、神によって聖められ、キリスト者としての新しい人生を歩み始めるスタートの時です。洗礼を授かった者は、罪深かった古い自分を完全に捨て去らなければなりません。罪と決別することなく、新しい生き方を歩むことは不可能だからです。新しく生まれ変わるとは、聖く正しく生きることを意味するからです。洗礼式は、人が新しく生まれ変わる時なのです。


神様はあなたに言われます!


「罪を悔い改めてバプテスマ(洗礼)を受けなさい!」と。


キリストを信じ、洗礼を授かる者は、罪が赦され、聖霊が与えられ、新しく生まれ変わります。新しく生まれ変わる者は、もはや罪深い人生を歩むことはできず、神の御力によって聖く正しい人生を歩むことになります。古いものは過ぎ去って、全てが新しくされるのです。「キリストを信じる」とは、以下のことを信じることを意味します。


新約聖書コリント人への手紙第一15章3-5節

私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。


新約聖書ローマ人への手紙4章25節

主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。


神であられるイエス・キリストは、人間の罪を赦す為に、自らを生贄として十字架の上に捧げ、死に、三日目に復活され、天に昇られました。イエス・キリストを神と信じる者は、イエスの死と復活の故に、罪が赦され、永遠の天国が与えられます。「イエス・キリストを信じる」とは「心で信じること」と「口で信仰を表明すること」の二つの意味を含んでいます。


新約聖書ローマ人への手紙10章9,10節

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。


キリストを神と心で信じ、その信仰を口で表明し、洗礼を受けてください!そうすれば、あなたの罪は赦され、永遠の天国へと入ることができます!新しく生まれ変わった者は、もはや罪に支配されることはありません!神があなたを支配し、聖く正しい者へと作り変えられます!是非!洗礼を受けてください!最高の人生があなたを待っています!ハレルヤ!!

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