あなたの名前がいのちの書に記されていることを大いに喜び踊りなさい!
- 鳥元 剛志 -torimoto tsuyoshi-
- 2024年12月24日
- 読了時間: 7分

あなたの名前は天に書き記されていますか?
「天に書き記される」とは、神様が持っておられる「いのちの書」に名前が記載されることです。
新約聖書ヨハネの黙示録20章11-15節
また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。
新約聖書ヨハネの黙示録21章22-27節
私は、この都の中に神殿を見なかった。全能の神である主と子羊が、都の神殿だからである。都は、これを照らす太陽も月も必要としない。神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである。諸国の民は都の光によって歩み、地の王たちは自分たちの栄光を都に携えて来る。都の門は一日中、決して閉じられない。そこには夜がないからである。こうして人々は、諸国の民の栄光と誉れを都に携えて来ることになる。しかし、すべての汚れたもの、また忌まわしいことや偽りを行う者は、決して都に入れない。入ることができるのは、子羊のいのちの書に記されている者たちだけである。
「いのちの書」に名前が書き記された者には、永遠の天国へ入る特権が与えられます。いのちの書に名前が記されている者は、罪が赦されるからです。この世界の終りの時に、私たち全ての人間は神様からさばかれます。罪人は神様から罰せられ地獄へ落とされますが、いのちの書に名前が書き記されている者は罪が赦されるので永遠の天国へ導かれます。つまり、私たちの死後の人生は「いのちの書」に名前が書き記されるかどうかに全てがかかっています。
では、どうすれば「いのちの書」に自分の名前が記載されるのでしょうか。それは「イエス・キリストを神と信仰すること」によってです。イエス・キリストを神と信仰する者は「いのちの書」に名前が記載されます。それはまるで契約書や保証書のようなものであり、そこへ名前が書き記された者には、永遠の天国へ入ることが保証されます。
なぜ、いのちの書に名前が書き記された者は永遠の天国へ入ることができるのか。それは「罪が赦されるから」です。イエス・キリストを神と信仰する者の罪は赦されます。どういうことでしょうか。
私たち人間は罪人です。この地上に義人は一人も存在しません。全ての人間が罪を抱えて生きています。罪の報酬は死です。全ての人間は罪の故に地獄へ落ちる運命にあります。この滅びる運命にある私たち人間を救う為に、神様は御子イエス・キリストを地上に遣わされ、人間の罪に対する生け贄として十字架の上に捧げられました。御子イエス・キリストは、私たち人間が受けるはずだった罪による罰を、全て代わりに引き受けてくださり、十字架刑に処されて死なれました。しかし、なんとイエス様は三日目に復活され、天に昇り、神様の右の席に座られました。イエス様という捧げものによって、人間の罪が完璧に赦される道が開かれました。今も天で生きておられるイエス・キリストを神と信じ、罪の赦しを請う者は、実際に罪が赦され、永遠の天国へ入ることができます。いのちの書に名前が書き記されるのは、この時です。イエス・キリストを神と信じ、洗礼を受ける時に、いのちの書に名前が書き記されます。いのちの書に名前が記された時から、その契約は効力を発揮し、永遠の天国へ入ることが保証されます。
私たちの名前が天に書き記されることは、何にも代えがたい喜びです。それ以上に嬉しいことなど、この地上には存在しません。なぜなら、永遠の天国はお金では決して買うことができないからです。この世の全てのものを持ってしても、永遠の天国を手に入れることはできません。それはイエス・キリストを信じる信仰によってのみ手に入れることができます。そこに見返りはありません。私たちは信仰を持つだけで無償で天国へ入ることができるのです。なんと感謝なことでしょうか!たとえどれだけ貧乏であっても、天国へ入ることができるのですから!永遠の天国への道は全ての人の前に開かれているのです!イエス・キリストを信仰することによって与えられる特権は、その他にも色々ありますが、あくまで天国への入国が第一の喜ぶべき特権です。次の聖書箇所を見てください。
新約聖書ルカの福音書10章1-20節
その後、主は別に七十二人を指名して、ご自分が行くつもりのすべての町や場所に、先に二人ずつ遣わされた。そして彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に子羊を送り出すようなものです。財布も袋も持たず、履き物もはかずに行きなさい。道でだれにもあいさつしてはいけません。どの家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。そこに平安の子がいたら、あなたがたの平安は、その人の上にとどまります。いなければ、その平安はあなたがたに返って来ます。その家にとどまり、出される物を食べたり飲んだりしなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。どの町に入っても、人々があなたがたを受け入れてくれたら、出された物を食べなさい。そして、その町の病人を癒やし、彼らに『神の国があなたがたの近くに来ている』と言いなさい。しかし、どの町であれ、人々があなたがたを受け入れないなら、大通りに出て言いなさい。『私たちは、足に付いたこの町のちりさえ、おまえたちに払い落として行く。しかし、神の国が近づいたことは知っておきなさい。』あなたがたに言います。その日には、ソドムのほうが、その町よりもさばきに耐えやすいのです。
ああ、コラジン。ああ、ベツサイダ。おまえたちの間で行われた力あるわざが、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって座り、悔い改めていたことだろう。しかし、さばきのときには、ツロとシドンのほうが、おまえたちよりもさばきに耐えやすいのだ。カペナウム、おまえが天に上げられることがあるだろうか。よみにまで落とされるのだ。
あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのです。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのです。」
さて、七十二人が喜んで帰って来て言った。「主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。」イエスは彼らに言われた。「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。確かにわたしはあなたがたに、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。ですから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
イエス・キリストを信仰することによって与えられる特権は下記のようなものがあります。
新約聖書マルコの福音書16章15-20節
それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。」
主イエスは彼らに語った後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。〕
イエス・キリストを信仰する者は、悪霊を追い出すことができ、新しいことばで語ることができ、その手で蛇をつかむことができ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。すさまじい特権ですね。これも喜ぶべきことですが、天に名前が書き記されることは、それ以上の特権です。私たちは、霊どもが私たちに服従することを喜ぶのではなく、私たちの名が天に書き記されていることを大いに喜ぶべきです。なぜなら、本来であれば地獄へ落ちる運命にあったのですから!
あなたは今、何に喜んでいますか?
あなたが最も喜ぶべきことは、あなたの名前が天に書き記されたことです!そのことを大いに喜び踊りましょう!ハレルヤ!!
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