あなたはイエス・キリストを誰だと思いますか?
イエス・キリストは歴史上、非常に有名であり、影響力のある人物です。おそらくこの世界にイエス・キリストの存在を知らない人は、まずいないでしょう。イエス・キリストの名は、学校の教科書にまで当たり前のように登場するほどです。それだけイエス・キリストが世界中の人々に与え続けている影響力は非常に大きいものであることがわかります。
これほどの有名人ですから、今の今まで世界中のあらゆる人々がイエス・キリストが何者であるのかを考えてきました。イエス・キリストが誰であるのかについて、世界には様々な答えがあります。①宗教家②キリスト教の始祖③ローマ帝国へ反逆したユダヤ教徒④自称ユダヤの王⑤詐欺師⑥革命家⑦狂信者などなど。この他にも、様々な人々がイエスを定義してきました。
イエスが誰であるのかについて、様々な答えがありますが、結局のところイエス・キリストとは何者なのでしょうか。新約聖書の福音書を読むと、イエスが何者であるのかがわかります。
新約聖書ルカの福音書9章7-9節
さて、領主ヘロデはこのすべての出来事を聞いて、ひどく当惑していた。ある人たちは、「ヨハネが死人の中からよみがえったのだ」と言い、別の人たちは、「エリヤが現れたのだ」と言い、さらに別の人たちは、「昔の預言者の一人が生き返ったのだ」と言っていたからである。ヘロデは言った。「ヨハネは私が首をはねた。このようなうわさがあるこの人は、いったいだれなのだろうか。」ヘロデはイエスに会ってみたいと思った。
新約聖書ルカの福音書9章18-22節
さて、イエスが一人で祈っておられたとき、弟子たちも一緒にいた。イエスは彼らにお尋ねになった。「群衆はわたしのことをだれだと言っていますか。」彼らは答えた。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人たち、昔の預言者の一人が生き返ったのだと言う人たちもいます。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えた。「神のキリストです。」
するとイエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じられた。そして、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日目によみがえらなければならない、と語られた。
イエス様が地上におられる間、様々な人々が、イエスが誰であるのかについて議論しました。ある人はイエスのことをバプテスマのヨハネだと言いました。バプテスマのヨハネはこの時すでに殺されていました。またある人は、イエスのことを旧約聖書に登場する大預言者エリヤだと言いました。またある人はイエスのことを預言者だと言いました。そこでイエスが弟子達に直接聞きます。
「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
この問いに一番弟子であるペテロがはっきり答えます。
「神のキリストです。」
その後にこうあります。
するとイエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じられた。
つまり、イエスはペテロの「あなたは神のキリストです!」という言葉を否定せずに認め、口外しないように弟子たちを戒めました。そう、イエス・キリストとは「神のキリスト」なのです。これが完璧に正しい答えです。イエス・キリストは、神であり、キリストです。ヘブライ語の「メシア」のギリシャ語訳が「クリストス(Χριστός)」で、「キリスト」はその日本語的表記です。メシアは、ヘブライ語のマシアハに由来し、「(油を)注がれた者」という意味であり、ユダヤ教で使われる救世主の称号です。旧約聖書には、救世主がイスラエルを救うということが預言されていました。その救世主こそイエス・キリストであるのです。
ただここで言う「救世主」の意味には注意が必要です。イエス・キリストが地上におられた時、ユダヤ人が考えていた救世主とは、イスラエルをローマ帝国の支配から解放する軍事的・政治的リーダーでした。しかし、本当の意味での救世主とは「全人類を罪による滅びから救う」リーダーでした。この違いには注意が必要です。イエス・キリストは、全人類を救う為に地上にやって来られた救世主です。
新約聖書ローマ人への手紙3章19-30節
私たちは知っています。律法が言うことはみな、律法の下にある者たちに対して語られているのです。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。
しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。そこに差別はありません。すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを示すため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それは取り除かれました。どのような種類の律法によってでしょうか。行いの律法でしょうか。いいえ、信仰の律法によってです。人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると、私たちは考えているからです。それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもあるのではないでしょうか。そうです。異邦人の神でもあります。神が唯一なら、そうです。神は、割礼のある者を信仰によって義と認め、割礼のない者も信仰によって義と認めてくださるのです。
新約聖書ローマ人への手紙4章25節
主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。
新約聖書エペソ人への手紙2章1-10節
さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。
私たち人間は「罪人」です。この地上に「義人」は一人も存在せず、全ての人間が「罪人」です。罪の報酬は「死」です。つまり人間は、罪の故に、死んだあと地獄に落ちる運命にあります。残念ながら、この人間の内にある罪は、人間の力では取り除くことはできません。人間は、罪があるが故に、地獄行きの運命から逃れることができない状況にあります。滅びる運命にある人間を救う為に、神が愛する一人子イエス・キリストを地上に遣わされ、人間の罪に対する生け贄として、イエスを十字架の上に捧げられました。イエスは十字架刑に処され、死に、三日目に復活されました。復活されたイエス・キリストは、天に昇り、神の右の席に座られました。神イエス・キリストという捧げものによって、人間の罪が完璧に赦される道が開かれました。今も生きておられる神イエス・キリストを信仰し、罪の赦しを請う者は、罪が赦され、死んだあと永遠の天国へと入ることができます。つまり、イエス・キリストは、地獄へ落ちる運命にある私たち人間を救う為に、ご自分の命を捧げてくださったのです。イエス・キリストは、イスラエルをローマ帝国の支配から救う軍事的・政治的リーダーではなく、全人類のいのちを救う為に来られた救世主なのです。
「救世主」と聞くと他人事のように聞こえるかもしれませんが、イエス・キリストはあなたを救う為にやって来られた、あなたにとっての「救世主」です。
イエス・キリストを信仰しませんか?
そうすれば、あなたの罪は赦され、あなたは死んだあと、永遠の天国へ入ることができます!救世主の到来を大喜びしましょう!もはやあなたは地獄へ落ちなくてもよいのですから!イエス・キリストは「神のキリスト」です!!
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