あなたは他人のことを何によって判断しますか?
人は何かしらの方法で他人のことを判断するものです。ある人は、服装によってその人を判断します。またある人は、容姿によってその人を判断します。またある人は、表情によってその人を判断します。またある人は、持ち物で、住む場所で、仕事で、家族で、趣味で、年齢で、性別で、人種で、国籍で、社会的身分で、その人を判断します。多くの人はこれら外面的な要素によって、その人の人となりを判断するものです。しかし、これらの要素では不十分です。なぜなら、それらの要素ではその人の心の中を理解することはできないからです。次の聖書箇所を見てください。
旧約聖書サムエル記第一16章6-13節
彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「きっと、主の前にいるこの者が、主に油を注がれる者だ」と思った。主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」エッサイはアビナダブを呼んで、サムエルの前に進ませた。サムエルは「この者も主は選んでおられない」と言った。エッサイはシャンマを進ませたが、サムエルは「この者も主は選んでおられない」と言った。エッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サムエルはエッサイに言った。「主はこの者たちを選んでおられない。」サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは言った。「まだ末の子が残っています。今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人を遣わして、連れて来なさい。その子が来るまで、私たちはここを離れないから。」エッサイは人を遣わして、彼を連れて来させた。彼は血色が良く、目が美しく、姿も立派だった。主は言われた。「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ。」サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰って行った。
初代イスラエル王サウルは、神様に不従順であったので、神様から王の資格を取り上げられることになりました。そこで預言者サムエルは、次の王を探しに旅に出ます。預言者サムエルは、容姿によって次期王を探しましたが、神様は心によって次期王を探されました。神様は人のことを、その人の容姿ではなく、その人の心で判断されます。神様にとって人の「内面」こそが最も重要な判断材料であるのです。偉大なる神様が人の「内面」を見られるのですから、私たちも「内面」によって人のことを判断するのが賢明です。といっても、他人の心の中は誰にも見えません。神様には見えますが、人間には見えません。どうすれば私たちは、人の「内面」を判断することができるのでしょうか。それは、その人が口にする「ことば」によって判断可能となります。
新約聖書ルカの福音書6章43-45節
良い木が悪い実を結ぶことはなく、悪い木が良い実を結ぶこともありません。木はそれぞれ、その実によって分かります。茨からいちじくを採ることはなく、野ばらからぶどうを摘むこともありません。良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです。
木は、結ぶ実によって、良い木か悪い木かを見分けることができます。良い木から悪い実が結ばれることはなく、悪い木から良い実が結ばれることはないからです。これと同じように、人の心は、口にする「ことば」によって良い心か悪い心かを見分けることができます。なぜなら、人は心に満ちていることを口にする生き物であり、良い心から悪い言葉が出ることはなく、悪い心から良い言葉が出ることはないからです。
これについて「人は本音を隠して建前を話すものだから、言葉によっては人の心の中を判断することはできない」と反論する人もいるでしょう。たしかに、人は常に本音を隠し、建前を話すものです。しかし、それこそがまさに判断材料となるのです。この場合、心の中にあることを正直に話す人は「誠実な人」、心の中にあることとは異なることを話す人は「不誠実な人」と判断することができます。おもしろいことに、口のことばは、その人の心の中の考えが色濃くにじみ出ます。「ことば」こそが、人を判断する上で最善の判断材料となるのです。
また、反対に、あなた自身も「ことば」によって周りの人々から判断されていることを忘れないでください。あなたは普段からどのような「ことば」を使われているでしょうか?あなたが口にすることばは「良いことば」でしょうか、それとも「悪いことば」でしょうか。次の聖書箇所を見てください。
新約聖書エペソ人への手紙4章29節
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。
「悪いことば」は、いっさい口から出してはいけません。私たちが口にする「ことば」は、いつも人の成長に役立つ恵み深いものであるべきです。あなたはいつも「人に恵みを与えることば」を使われているでしょうか。もし、あなたが良い言葉を使われていないのでしたら、悔い改めるべきです。「良い言葉」は「良いこころ」から出てくるものです。あなたの心に問題があります。まずは心の状態を改善しましょう。
旧約聖書箴言4章23節
何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。
どうすればあなたの心を良いものとすることができるのでしょうか。答えは一つです。「聖書の言葉」があなたの心を聖めてくれます。
新約聖書ヤコブの手紙1章19-21節
私の愛する兄弟たち、このことをわきまえていなさい。人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。人の怒りは神の義を実現しないのです。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
新約聖書テモテへの手紙第二3章14-17節
けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分がだれから学んだかを知っており、また、自分が幼いころから聖書に親しんできたことも知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。
聖書はその名の通り「聖い書物」です。聖書のことばを読む者の心は、聖霊の力によって聖くされます。心が聖められれば、聖いことばが自然と出てきます。聖い心から悪い言葉が出てくることはないからです。ですから、もしあなたが「良いことば」を扱いたいのならば、聖書を読んでください。あなたが聖書を読み、良い言葉を扱う者となれば、周りの人々からのあなたへの評価は今よりも格段と良くなることでしょう。人の真価は「ことば」によって判断することができるのです!
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