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執筆者の写真鳥元 剛志 -torimoto tsuyoshi-

いざ宣教旅行へ旅立とう!🌎✈


いざ宣教旅行へ旅立とう!

あなたは一人のクリスチャンとして"宣教旅行"に行ったことがありますか?


宣教旅行には大きく分けて2種類あります。「国内宣教旅行」と「海外宣教旅行」です。そして、そこからさらに2種類に分かれます。「短期宣教旅行」と「長期宣教旅行」です。つまり、宣教旅行は「短期国内宣教旅行」、「長期国内宣教旅行」、「短期海外宣教旅行」、「長期海外宣教旅行」の4種類に分けることができます。


あなたはいずれかの宣教旅行に行ったことがありますか?


国内外を問わず、多くの宣教団体が宣教旅行のプログラムを用意しており、特に自分で旅行を計画しなくても、簡単に宣教旅行へ行くことができます。宣教は、神様から全てのキリスト者に任された共通の使命ですから、他人事とは思わずに、一度は宣教旅行へ行くことをお勧めします。


私自身も人生に一度だけ宣教旅行に赴いたことがあります。関西大学4回生の夏休みにCCC(campus crusade for christ)という団体が主催する短期海外宣教旅行のプログラムへ参加し、日本から台湾へ飛び、現地に2週間滞在し、台湾人へ宣教しました。2週間の宣教旅行は、私にとって本当に濃密な時間となり、今でも私の宣教活動の原点となっています。私が短期海外宣教旅行のプログラムへ参加した理由は、私の心の中に「宣教に対する恐れ」があったからです。私は大学1回生の時に信仰告白をし、洗礼を受けました。ですから、当時の私はまだまだクリスチャンとして未熟で、迫害に対する過度な恐怖心がありました。日本にキリスト教信者は非常に少なく、社会の中には「宗教は危ない」という風潮があるので、自分自身がキリスト教信者であることを表明すると、もしかすると嘲笑や侮辱、迫害を受けるのではないかと不安でした。そんな宣教に対する恐れを払拭したくて、私は宣教旅行へ行くことに決めたのです。台湾の地で2週間おもいっきり宣教しました。これでもかというほど宣教しました。2週間、宣教のことだけを考えました。朝から晩まで宣教しました。2週間の宣教旅行を終えて、宣教に対する恐怖心を払拭できたのかと言うと、できませんでした。しかし、かなりの恐怖心は払拭できました。そして、この宣教旅行の経験が私の中で宣教に対する情熱を呼び覚まし、その後に繰り広げることになる様々な宣教活動によって、大部分の恐怖心は払拭されました。私にとって台湾への短期宣教旅行は非常に良い経験となりました。


私はキリスト者であるあなたに一度は宣教旅行へ行くことをお勧めします。宣教旅行の経験は、あなたの今後の信仰生活に非常に良い影響を与えることでしょう。


宣教旅行に関しては、イエスの十二弟子をお手本にするといいでしょう。


新約聖書ルカの福音書9章1-6節

イエスは十二人を呼び集めて、すべての悪霊を制して病気を癒やす力と権威を、彼らにお授けになった。そして、神の国を宣べ伝え、病人を治すために、こう言って彼らを遣わされた。「旅には何も持って行かないようにしなさい。杖も袋もパンも金もです。また下着も、それぞれ二枚持ってはいけません。どの家に入っても、そこにとどまり、そこから出かけなさい。人々があなたがたを受け入れないなら、その町を出て行くときに、彼らに対する証言として、足のちりを払い落としなさい。」十二人は出て行って、村から村へと巡りながら、いたるところで福音を宣べ伝え、癒やしを行った。


新約聖書マルコの福音書6章7-13節

また、十二人を呼び、二人ずつ遣わし始めて、彼らに汚れた霊を制する権威をお授けになった。そして、旅のためには、杖一本のほか何も持たないように、パンも、袋も、胴巻の小銭も持って行かないように、履き物ははくように、しかし、下着は二枚着ないようにと命じられた。また、彼らに言われた。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまりなさい。あなたがたを受け入れず、あなたがたの言うことを聞かない場所があったなら、そこから出て行くときに、彼らに対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい。」こうして十二人は出て行って、人々が悔い改めるように宣べ伝え、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒やした。


イエス様は、ご自分の十二弟子を宣教へと送り出される際、いくつかの指示を出しておられます。その場面から、宣教において重要なことを読み取ることができます。


【重要ポイント】

①宣教に行く際は二人一組で

②宣教の権威は神から与えられるもの

③宣教には何も持って行くべきではないこと

④一つの拠点に留まること

⑤福音を受け入れない者がいても、あくまでその責任は受け入れなかった本人にあること(足のちりを払い落すことは分離を意味する)

⑥宣教は(悪霊追い出し、病気の癒し、福音を伝える)の3つで1セットであること


「宣教」と聞くと、どこか特別な、偉大な働きのように思うかもしれませんが、そんなことはありません。宣教はそんなに難しい働きではなく、非常にシンプルで簡単な働きです。宣教の本質は「福音を伝えること」です。それ以上でもそれ以下でもありません。ただ福音を伝えるだけで良いのです。伝える方法も一つではありません。自分の得意な分野を活かして宣べ伝えることができます。文章によって、音楽によって、動画配信によって、演劇によって、イベントを開くことによって、漫才によって、芸術作品によって、スポーツによって、宣教することができます。宣教方法は一つではなく、多岐にわたります。苦手な分野で宣教する必要性はどこにもなく、それぞれが神様から与えられた賜物を活かして、自分の得意な分野で宣教すれば良いのです。


宣教ほど私たちの信仰生活をワクワクさせ、活気づけるものはありません。宣教の楽しさは、言葉では伝えることができず、実際にやってみないと誰にもわかりません。ですから、一度、宣教旅行へ旅立つことをお勧めします。世界のどこかに、あなたの助けを必要としている人々、地域が必ずあります。宣教の働きに出かけてみませんか。神様はあなたをご自分の働きに呼んでおられます。さぁ!ドキドキとワクワクの旅があなたを待っています!!


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