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執筆者の写真鳥元 剛志 -torimoto tsuyoshi-

たくさんの人々に福音を伝える為に外の世界へ羽ばたこう!


一人でも多くの者に福音を宣べ伝える為に外の世界へ飛び立とう!

キリスト教の聖なる役職として「宣教師」というものがあります。宣教師とは、イエス・キリストまたは教会から派遣されて福音を伝える人、またキリスト教会が外国伝道のために派遣する職務者のことです。また「伝道者」という言葉もあります。伝道者とは、聖書の語句であり、主にキリスト教世界で未信者にキリスト教の教旨を伝え、入信を促す働きを職業としている人のことです。伝道者のことを伝道師とも言います。


「宣教(伝道)」というのは、一般的に宣教師や伝道者が行う特別な働きだと考えられがちですが、じつはそうではありません。イエス・キリストは全てのキリスト者に対して「大宣教命令」を布告しておられます。大宣教命令とは、新約聖書マタイの福音書28章18-20節、マルコの福音書16章15-18節に記されている内容を指します。


新約聖書マタイの福音書28章18-20節

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」


新約聖書マルコの福音書16章15-18節

それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。」


「大宣教命令」の働きとは、世界中の人々に福音を宣べ伝え、洗礼を授け、信徒を一人前の信仰者へ育て上げることです。この大宣教命令は全てのキリスト者に対して布告されています。宣教(伝道)の働きは"特別な人"だけが行うことのできる"特別な働き"ではないのです。つまり、イエス様は"あなた"にも大宣教命令を布告しておられるのです。


ところで「福音」とはなんでしょうか。福音とは「良い知らせ」という意味です。何が「良い知らせ」なのか。良い知らせとは、地獄に落ちる運命にあった人間がイエス・キリストによって助け出されたことを指します。


私たち人間は罪人です。罪を持つ者は死んだ後、地獄へ落ちる運命にあります。滅びる運命にある人間を救うために神イエス・キリストが地上にやって来られ、自分自身を人間の罪に対する生け贄として十字架の上に捧げ、死に、そして三日目に復活されました。復活されたイエス・キリストは天に昇り、神の右の座に着座されました。イエス・キリストの死と復活によって、人間の罪が赦され、天国への道が開かれました。イエス・キリストを神と信じる者は、罪赦され、死んだあと永遠の天国へと入ることができます。滅びる運命にあった者がキリストの故に滅びなくて済むようになったのですから、まさに「良い知らせ」ですよね。


この福音(良い知らせ)を人々に伝えることこそ「宣教(伝道)」の働きです。つまり、世界中の人々に「地獄行きの運命から脱出できる道が開かれましたよ!」と知らせ回れば良いのです。あわれみ深い神様は世界中の一人でも多くの者が福音を信じて救われることを願っておられます。


新改訳聖書ペテロの手紙第二3章8-13節

しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。


イエス・キリストは天に昇られましたが、じつは再び地上にやって来られます。一度目は「世を救うため」に来られましたが、二度目は「世をさばくため」にやって来られます。これをキリストの「再臨」と言います。キリストが再臨されるとき、イエスを信じる者は天国へ、イエスを信じない者は地獄へ行くことになります。神様は世界中の一人でも多くの者が救われるために、再臨の時期をわざわざ遅らせてくださっています。神様は世界中の者を救いへと導く働きを私たちキリスト者に「大宣教命令」として任せておられます。宣教(伝道)は非常に重要な働きであるのです。福音宣教ほど素晴らしい働きは、この世にありません。人々の命を救う働きであるからです。聖書もこう言っています。


新約聖書ローマ人への手紙10章9-17節

 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。

 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか」とイザヤは言っています。ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。


聖書は「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と言っています。宣教(伝道)の働きは非常に「美しい働き」であるのです。福音を宣べ伝える者がいなければ、誰も福音を知るチャンスがないからです。宣べ伝える人がいるからこそ、救われる人が起こされるのです。


さぁ!あなたも美しい働きに出かけませんか?外の世界に飛び立つのです!自室に籠るのはもうやめにしましょう!居心地の良い教会に籠るのもやめましょう!鳥かごや犬小屋にいても、誰も救いへとは導けません!外の世界に出て行くのです!救いが必要な人々は外の世界にいるのですから!我らが神イエス・キリストも、一人でも多くの者を救いへと導くために、一カ所に留まることをなさいませんでした。イエス様は十字架刑に処されるまで外の世界へ出続けられました。


新約聖書ルカの福音書4章42-44節

朝になって、イエスは寂しいところに出て行かれた。群衆はイエスを捜し回って、みもとまでやって来た。そして、イエスが自分たちから離れて行かないように、引き止めておこうとした。しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」そしてユダヤの諸会堂で、宣教を続けられた。


イエス様は故郷ナザレに留まることもなく、会堂や神殿に留まることもなく、居心地の良い場所に留まるのでもなく、外の世界で福音を宣べ伝え続け、様々な困難・試練に直面しながらも、一人でも多くの者を救うために戦い続けました。私たちもイエス様の姿勢に見習いましょう!


さぁ!飛び立つのです!あなたを待っている人々がいます!!

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