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執筆者の写真鳥元 剛志 -torimoto tsuyoshi-

イエスの再臨に向けて準備を整えよ!


イエス・キリストの再臨に向けて準備を整えよ

少し急ですが、あなたは一か月後にヨーロッパ旅行を控えているとします。あなたはいつから準備を整え始めますか?


めちゃくちゃ用意周到な人であれば、今すぐ準備を始めることでしょう。必要物品のリストを作り、不足している物を調達し、行きたい観光地をリストアップし、行程表を作成し、必要があれば現地公共交通機関のチケットを購入し、その他の細かい調整を整えます。仕事が忙しい人であれば、長期休暇に入る前に仕事を全て終わらせ、同僚に仕事を引継ぎます。ここまでくれば、安心してヨーロッパ旅行を満喫することができますね。


しかし、なかには旅行出発日ギリギリまで何もしない人がいます。前日になって急に焦りだし、大急ぎで準備を整えますが、すでに手遅れ。必要な物がそろっておらず、旅行の行程も決まっていません。行きたい観光地のリストアップさえもしていません。「旅は何も計画せずに行くからこそ旅なんだ!」と気前の良いことを言って出発するも、現地で迷子に。挙句の果て、仕事の引継ぎをしてこなかったことによりトラブル発生。旅行先のヨーロッパでトラブル解決の為に尽力。やっとトラブルが解決したので一息つくと、すでに旅行は最終日。せっかくのヨーロッパ旅行を楽しめないまま帰国することに。これには同伴していた家族も激怒。帰国後、家族と職場でクレームの嵐。その後一か月はクレーム処理に尽力することになり、もうヘトヘト。なんてことになると嫌ですよね。


準備は余裕を持って入念に行うべきです。


しかし、多くの人はギリギリになるまで動こうとしません。準備するのが面倒くさいからです。「やらなければ」という気持ちはありますが、いざやるとなると億劫になるのです。何かと言い訳を付け加えて、先延ばし先延ばしにします。そして、前日になって焦り出すのです。夏休みの宿題と一緒ですね。


私たちキリスト者は、とある日に向けて準備を進めるように神様からご指示が与えられています。その日とは「キリストの再臨の日」です。


新約聖書使徒の働き1章9-11節

こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」


キリストが昇天された時、天使が「キリストは再び地上にやって来られます」と告げました。キリストは再び地上に戻って来られます。キリストが初めに地上にやって来られたのは、人間の罪に対する生け贄としてご自身を捧げ、死んで三日目に復活するためでした。キリストがもう一度地上にやって来られるのは「世をさばくため」です。イエスが再臨されるとき、イエスを信じない罪人はさばかれ、イエスを信じる罪人は救われます。救われた者は、イエスによって新天新地(天国)へ導かれます。しかし信じない者は永遠の地獄へと導かれることになります。新約聖書の至るとこでイエス様が「再臨に備えよ!」とおっしゃっておられる場面が出てきます。


新約聖書ルカの福音書12章35-48節

 腰に帯を締め、明かりをともしていなさい。主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待っている人たちのようでありなさい。帰って来た主人に、目を覚ましているのを見てもらえるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばに来て給仕してくれます。主人が真夜中に帰って来ても、夜明けに帰って来ても、そのようにしているのを見てもらえるなら、そのしもべたちは幸いです。このことを知っておきなさい。もしも家の主人が、泥棒の来る時間を知っていたら、自分の家に押し入るのを許さないでしょう。あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのです。」

 そこで、ペテロが言った。「主よ。このたとえを話されたのは私たちのためですか、皆のためですか。」主は言われた。「では、主人によって、その家の召使いたちの上に任命され、食事時には彼らに決められた分を与える、忠実で賢い管理人とは、いったいだれでしょうか。主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見てもらえるしもべは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人はその人に自分の全財産を任せるようになります。もし、そのしもべが心の中で、『主人の帰りは遅くなる』と思い、男女の召使いたちを打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めるなら、そのしもべの主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ報いを与えます。主人の思いを知りながら用意もせず、その思いどおりに働きもしなかったしもべは、むちでひどく打たれます。しかし、主人の思いを知らずにいて、むち打たれるに値することをしたしもべは、少ししか打たれません。多く与えられた者はみな、多くを求められ、多く任された者は、さらに多くを要求されます。


私たちは"ヨーロッパ旅行の出発日"も"夏休みの宿題の提出日"もすでに知っているので、余裕を持って準備を整えることができますが、イエス様はいつ戻って来られるのか私たちは知りません。イエス様は、強盗が真夜中に民家に忍び込むように突然やって来られます。つまり、明日イエス様が戻って来られてもおかしくないのです。イエス様は予想外のタイミングで来られます。私たちに与えられた準備期間は「今日」なのです。先延ばしにはできません。「明日やるさ」では手遅れです。私たちは「今日」の内に準備しなければならないのです。


新約聖書に登場する"バプテスマのヨハネ"はキリストが来られる前準備を整えた忠実な神のしもべでした。彼の一生涯は骨の髄までキリストに捧げられ、彼は殉教の死によって一瞬にして天に引き上げられました。私たちも彼の信仰に見習うことができます。


新約聖書ルカの福音書3章1-6節

 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督であり、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイトラヤとトラコニテ地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。これは、預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。

「荒野で叫ぶ者の声がする。

『主の道を用意せよ。

 主の通られる道をまっすぐにせよ。

 すべての谷は埋められ、

 すべての山や丘は低くなる。

 曲がったところはまっすぐになり、

 険しい道は平らになる。

 こうして、すべての者が神の救いを見る。』」


旧約聖書のイザヤ書では、救い主がやって来られる前準備を整える者が必ず現れると預言されていました。その預言はバプテスマのヨハネによって成就されました。彼は罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを熱心に宣べ伝えました。つまり簡単にいうと、バプテスマのヨハネは当時の人々に「あなたたちは罪人だから、罪を悔い改めなければならない」と宣べ伝えたのです。なぜなら人がキリストから罪の赦しを頂く為には、まず自分の罪を認識しなければならないからです。自分を罪人だと認めない人が、キリストから罪の赦しを頂こうとは決して思いません。バプテスマのヨハネは当時の人々に自分の罪を認識させることによって、キリストの初臨の前準備を整えたのです。


キリストは再び地上に戻って来られます。現代を生きる私たちキリスト者も、バプテスマのヨハネに見習って「キリストの再臨の日」に向けて準備を整えることができます。今日、あなたが悔い改めなければならない罪はなんですか?その罪は今日しか悔い改めることができません。今日の内に悔い改めましょう。また、一人でも多くの者が救われて永遠の天国へ入ることができるように、今日の内に、"キリストによる罪の赦し"を人々に宣べ伝えましょう!今日しか宣べ伝えることができない人々がいます。明日ではもう手遅れです。熱心に、忠実に、キリストの再臨の前準備を整える者となりましょう!くれぐれもギリギリにならないように、余裕を持って入念に準備を整えましょう!!

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