top of page
執筆者の写真鳥元 剛志 -torimoto tsuyoshi-

救い主の訪れを告げ知らせよ


世の救い主であられるイエス・キリストの訪れを告げ知らせよ

あなたの好きなものは何でしょうか?


人には何かしらの好きなものがあります。そのことを考えると気分が高まり興奮するものです。関西だとプロ野球球団の"阪神タイガース"が大好きな人が多いですね。町中のいたる所で阪神タイガースのグッズを持っている人を頻繁に見かけます。阪神タイガースが優勝した時には、関西中の人々が大喜びし、パレードが行われるぐらいです。特に野球が好きなわけではない関西人でさえも、阪神タイガースの動向をよく知っているものです。なぜそのようになるのか?阪神タイガースファンが町中のあちこちで阪神タイガースについて熱く語っているからです。彼らの熱心さが野球好きではない人々にも影響を与えているのです。


人は好きなものについて、熱心に語るものです。その影響力はすさまじいものです。時としてそのエネルギーは、まったく関係のない人々をも巻き込み、影響を与え、燃やします。その火花はどんどん増え広がり、いつしか大きな炎となって燃え上がります。


もう一度聞きます。あなたは何が好きですか?


もちろん、私たちキリスト者は「イエス・キリスト」が大好きです。阪神タイガースファンが阪神タイガースを愛する以上に、私たちキリスト者は「イエス様」を愛しています。その愛はすさまじい程に熱狂的です。私たちキリスト者は狂おしい程にイエス様を愛しています。私たちがイエス様を愛すれば愛するほど、他人に熱心にイエス様の話をするようになります。人々はその熱心さに圧倒され、影響を受け、巻き込まれ、燃やされ、そして火花が増え広がり、大きな炎となって燃え上がります。


新約聖書ローマ人への手紙8章19-23節

 被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。


この世界に存在する全ての被造物が「救い」を待ち望んでいます。被造物とは、神様によって造られた全てのものを指します。女性が出産する時の痛みは「鼻からスイカが出るようなもの」と言われますが、全ての被造物が「鼻からスイカが出るような痛み」に苦しみ、救われることを願っています。この救いこそ、我らが崇める神「イエス・キリスト」によって実現します。イエス・キリストはこの世の救世主として、被造物を救うために天からやって来られました。


新約聖書ローマ人への手紙8章1-4節

こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。


被造物が何に苦しみ、何から救われることを待ち望んでいるのか。それは「罪」です。全ての造られたものは「罪」に苦しみ、「罪」から救われることを願っています。そこで神様はイエス・キリストを地上に遣わし、イエス・キリストを通して「罪」を処罰なされました。つまり、神の一人子であられるイエス・キリストを人間の罪に対する生け贄として十字架の上にお捧げになられました。イエス・キリストは十字架刑に処され、死に、葬られ、よみに下り、三日目に復活されました。イエス・キリストという宥めの捧げものによって人間の罪が完璧に赦されました。イエス・キリストは全ての被造物が待ち望んでいた救世主であられるのです。


しかしながら、世界中の多くの人々がこの事実を知りません。なぜか?私たちキリスト者が宣べ伝えていないからです。もしくは、宣べ伝えていても熱心さが足りないからです。


新約聖書マルコの福音書116章15-18節

 それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。」


イエス様は昇天される前に「大宣教命令」を弟子たちに布告されました。これは今を生きる私たちキリスト者にもイエス様が命じられていることです。私たちには、この世の人々に"救世主の訪れ"を宣べ伝える任務が与えられているのです。


ダビデ王の故郷ベツレヘムでお生まれになられたイエス・キリストは、生まれてすぐに、律法の定めに従ってエルサレムへ連れていかれました。そこで女預言者アンナはエルサレムの宮で救世主イエス・キリストに出会います。救世主の訪れを知った女預言者アンナは、この事実を救世主の訪れを待ち望んでいた全ての人々に告げ知らせます。"全ての人々に"です。私たちキリスト者も女預言者アンナに見習って、苦しみの中にあり救いを待ち望んでいる全ての被造物に救世主の訪れを宣べ伝えることができます。


新約聖書ルカの福音書2章36-40節

 また、アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、七年間夫とともに暮らしたが、やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。ちょうどそのとき彼女も近寄って来て、神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った。

 両親は、主の律法にしたがってすべてのことを成し遂げたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰って行った。幼子は成長し、知恵に満ちてたくましくなり、神の恵みがその上にあった。


あなたはイエス・キリストを愛しているでしょうか?愛しているのなら、救世主の訪れを熱心に人々に語り伝えましょう!おそらくあなたの周りには、まだ救世主の訪れを知らない人々がたくさんいるはずです!あなたの火花が飛び散り、大きな炎となって燃え上がることを願っています🔥日本の地にイエス・キリストの熱狂的なファンが増やされますように🔥

最新記事

すべて表示

コメント


bottom of page