あなたは何かに取り組む時、一人で取り組むのが好きですか? それとも他人と協力して取り組むことが好きですか?
おそらく、これに関しては回答がぱっくり二つに分かれることでしょう。もともと一人でいることが好きな人は、課題に一人で取り組むことを好みます。一人の方が楽だからです。一人で物事に取り組む時、全ての決定権は自分にあります。また、他人のペースに合わせなくてよく、他人に気を遣うこともありません。彼らにとっては一人で取り組む方が圧倒的に気持ちが楽なのです。しかし、もともと一人でいることが苦手な人は、課題に他人と協力して取り組むことを好みます。彼らにとって一人で課題に取り組むことはストレスでしかありません。一人でいることは非常に心細く、何かを決める時も誰かと話し合って決めた方が気持ちが安心です。彼らにとっては、誰かと一緒にいる方が圧倒的に気持ちが楽なのです。永遠の大ベストセラーである聖書はこんなことを言っています。
旧約聖書伝道者の書4章7-12節
私は再び、日の下で
空しいことを見た。
ひとりぼっちで、仲間もなく、
子も兄弟もいない人がいる。
それでも彼の一切の労苦には終わりがなく、
その目は富を求めて飽くことがない。
そして「私はだれのために労苦し、楽しみもなく
自分を犠牲にしているのか」とも言わない。
これもまた空しく、辛い営みだ。
二人は一人よりもまさっている。
二人の労苦には、良い報いがあるからだ。
どちらかが倒れるときには、
一人がその仲間を起こす。
倒れても起こしてくれる者のいない
ひとりぼっちの人はかわいそうだ。
また、二人が一緒に寝ると温かくなる。
一人ではどうして温かくなるだろうか。
一人なら打ち負かされても、
二人なら立ち向かえる。
三つ撚りの糸は簡単には切れない。
聖書は「一人でいるより二人でいる方が優っている」と言います。なぜか。二人でいれば、どちらかが倒れても相方の助けによって再び起き上がることができるからです。また、試練・困難がやって来て一人ではめげてしまう場面でも、二人でいれば立ち向かう気持ちが湧き上がります。また一人でいれば、喜びや悲しみ、苦しみを誰かと共有することはできませんが、二人でいればその感情を分かち合うことができ、共に喜び、共に悲しみ、共に苦しむことができます。一人より二人の方が圧倒的に優っています。
時に、私たちの前には超えることのできない高い壁(試練・困難)が立ちはだかります。その壁は一人で乗り越えるには少々高すぎるかもしれません。それでも一人で乗り超えようとするならば、私たちは失敗し、挫折することでしょう。全てを一人で抱え込むには限界があります。私たちは他人から助けてもらうことを学ばなければなりません。人によっては、プライドが邪魔して他人から助けてもらうことに抵抗を感じるかもしれません。もしあなたが九州男児なら「男たるもの、他人の助けなしで一人で壁に立ち向かってみやがれ、この野郎」と思うかもしれません。私たちはまず「へりくだること」から始めなければなりません。何事も謙虚な気持ちを持つことが大切です。
新約聖書ヤコブの手紙4章6,10節
神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。それで、こう言われています。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」
主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます。
新約聖書マタイの福音書23章12節
だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。
旧約聖書詩編50章15節
苦難の日に わたしを呼び求めよ。 わたしはあなたを助け出し あなたはわたしをあがめる。」
旧約聖書詩篇121編1-8節
私は山に向かって目を上げる。
私の助けは どこから来るのか。
私の助けは主から来る。
天地を造られたお方から。
主は あなたの足をよろけさせず
あなたを守る方は まどろむこともない。
見よ イスラエルを守る方は
まどろむこともなく 眠ることもない。
主はあなたを守る方。
主はあなたの右手をおおう陰。
昼も 日があなたを打つことはなく
夜も 月があなたを打つことはない。
主は すべてのわざわいからあなたを守り
あなたのたましいを守られる。
主はあなたを 行くにも帰るにも
今よりとこしえまでも守られる。
まず、へりくだることから始めましょう。私たちは非常にちっぽけな存在であり、一人では何もできません。私たちは弱い者です。私たちには神様や他人からの助けが必ず必要です。自分の弱さ、小ささを認めましょう。そして、助けを叫び求めましょう。助けを求めることは決して恥ずかしいことではありません。変なプライドを捨てましょう。一人よりも二人が、二人よりも三人の方が優っています。私たちは他の人と協力することにより高い壁をも乗り越えることができます。
じつは神と崇められるイエス・キリストも自分に任された重要な任務を一人でこなすのではなく、他人と協力することにより完遂されました。
新約聖書ルカの福音書6章12-19節
そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。そして、夜が明けると弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をお与えになった。すなわち、ペテロという名を与えられたシモンとその兄弟アンデレ、そしてヤコブ、ヨハネ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、熱心党員と呼ばれていたシモン、ヤコブの子ユダ、イスカリオテのユダで、このユダが裏切る者となった。
それからイエスは彼らとともに山を下り、平らなところにお立ちになった。大勢の弟子たちの群れや、ユダヤ全土、エルサレム、ツロやシドンの海岸地方から来た、おびただしい数の人々がそこにいた。彼らはイエスの教えを聞くため、また病気を治してもらうために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人たちも癒やしてもらっていた。群衆はみな何とかしてイエスにさわろうとしていた。イエスから力が出て、すべての人を癒やしていたからである。
新約聖書ルカの福音書10章1-20節
その後、主は別に七十二人を指名して、ご自分が行くつもりのすべての町や場所に、先に二人ずつ遣わされた。そして彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に子羊を送り出すようなものです。財布も袋も持たず、履き物もはかずに行きなさい。道でだれにもあいさつしてはいけません。どの家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。そこに平安の子がいたら、あなたがたの平安は、その人の上にとどまります。いなければ、その平安はあなたがたに返って来ます。その家にとどまり、出される物を食べたり飲んだりしなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。どの町に入っても、人々があなたがたを受け入れてくれたら、出された物を食べなさい。そして、その町の病人を癒やし、彼らに『神の国があなたがたの近くに来ている』と言いなさい。しかし、どの町であれ、人々があなたがたを受け入れないなら、大通りに出て言いなさい。『私たちは、足に付いたこの町のちりさえ、おまえたちに払い落として行く。しかし、神の国が近づいたことは知っておきなさい。』あなたがたに言います。その日には、ソドムのほうが、その町よりもさばきに耐えやすいのです。
ああ、コラジン。ああ、ベツサイダ。おまえたちの間で行われた力あるわざが、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって座り、悔い改めていたことだろう。しかし、さばきのときには、ツロとシドンのほうが、おまえたちよりもさばきに耐えやすいのだ。
カペナウム、おまえが天に上げられることがあるだろうか。よみにまで落とされるのだ。あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのです。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのです。」
さて、七十二人が喜んで帰って来て言った。「主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。」イエスは彼らに言われた。「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。確かにわたしはあなたがたに、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。ですから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
イエス・キリストには「福音宣教」という大任務が神様から与えられていました。イエスはイスラエルの至るところで「神の国の到来」を宣べ伝えました。しかしながら、イスラエルと言えど広い国です。一人ではとても行き巡れる面積ではありません。だからこそイエスは、12人の弟子と、72人の弟子を持ち、神様から与えられた仕事を弟子たちに分担されました。そのことにより、イエスの任務は大成功を収めました。イエスから始まった福音宣教の働きは長い歴史を通して多くの人々に受け継がれ、世界中のあらゆる地域に「神の国の到来」が宣べ伝えられ、今やキリスト教は世界一の宗教にまで発展しました。これはまさしく偉業です。しかし、この偉業はイエス一人の力により達成されたのではなく、数えきれないほど多くの人々の協力により達成されたという事実が肝心な点です。一人よりも二人が、二人よりも三人の方がはるかに優っています。「一人」でできないことも「二人」でならできます。「二人」でできないことも「三人」でならできます。実際、他人と協力した方が多くのことを成し遂げることができます。神様でさえ他人の助けを求められたのです。ましてや私たち人間が他人の助けを求めずにできることなど、たかだかしれています。謙虚な気持ちを持って、進んで他人と協力する者となりましょう!
あなたは今、どのような高い壁に行く手を阻まれていらっしゃるでしょうか。その壁はあなた一人で立ち向かうには少々高すぎます。あなたの周りを見渡してください。必ずあなたを助けてくれる人がいます。「HELP」サインを積極的に出しましょう!必ず誰かがあなたを助けてくださいます!神様はあなたのHELPサインをしっかり見ておられますから!!
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