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執筆者の写真鳥元 剛志 -torimoto tsuyoshi-

神は女性のあなたを必要としておられます!!


神様は女性であるあなたを必要としておられます!男女共同参画社会の実現を目指しましょう!

神様は女性であるあなたを必要としておられます!


ひと昔前までは、女性は家事・育児に専念するのが一般常識でしたが、近年は男女共同参画社会の実現が謳われ、女性が社会で活躍する機会が増えてきました。もはや女性が家事・育児に専念し、男性が仕事に専念するという固定概念は取り去られました。古い考え方と新しい考え方のどちらが正しいのか、私にはわかりません。しかしながら、一つ確かなことは「神は女性を必要としておられる」ということです。神様は男性と女性を別々の存在として造られました。男性にとって得意なことと、女性にとって得意なことは異なります。また、男性にとって苦手なことと、女性にとって苦手なことは異なります。男性にできることが女性にはできず、女性にできることが男性にはできません。神様は男性と女性をそれぞれ個々のユニークな存在として造られたのです。神様が男性と女性を造られた場面を見てみましょう。


創世記2章

 こうして天と地とその万象が完成した。神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。これは、天と地が創造されたときの経緯である。神である主が、地と天を造られたときのこと。地にはまだ、野の灌木もなく、野の草も生えていなかった。神である主が、地の上に雨を降らせていなかったからである。また、大地を耕す人もまだいなかった。ただ、豊かな水が地から湧き上がり、大地の全面を潤していた。神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。神である主は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。

 一つの川がエデンから湧き出て、園を潤していた。それは園から分かれて、四つの源流となっていた。第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れていた。そこには金があった。その地の金は良質で、そこにはベドラハとショハム石もあった。第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れていた。第三の川の名はティグリス。それはアッシュルの東を流れていた。第四の川、それはユーフラテスである。

 神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。

神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

 また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」神である主は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」

 それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。

そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。


男性と女性が造られた目的に注目してください。男性は「エデンの園を管理する為」に造られ、女性は「男性の仕事を支える為」に造られました。これはなにも「女性が家事・育児に専念して、男性が仕事に専念する」という意味ではありません。そもそも男性の仕事をサポートすることが「家事・育児」に限定されるはずがありません。もっと様々な分野・領域において、女性は男性の仕事をサポートすることができます。


この話に対して、もしかすると「女性よりも男性の方が優れているというのですか? これは差別ですよね!?」という意見が殺到するかもしれません。しかし、これは優劣の話ではなく、あくまで役割の話です。神様が女性を男性のサポーターとして造られたのですから、それを受け入れるしかありません。私たち人間が神様の摂理に反抗することは不可能です。


そしてさらに「男性は一人では生きていけない」というところに注目してください。男性は神様から与えられた仕事を一人では完遂することができず、必ず助け手である女性が必要であるのです。動物ではなく「女性」がいなければ、男性は仕事を完遂することができません。男性と女性が相互に助け合った時に初めて仕事が完遂します。これこそが神様の計画です。男性と女性は二つで一つであり、相互補完するように神様が造られたのです。つまり、この社会には「女性の力」が必ず必要であるということです。男性だけでは、この社会をうまく治めることはできません。神様は女性であるあなたを必要としておられるのです!


神であられるイエス・キリストは、地上におられる間、まさに女性の力に大いに頼られました。次の聖書箇所を見てください。


新約聖書ルカの福音書8章1-3節

 その後、イエスは町や村を巡って神の国を説き、福音を宣べ伝えられた。十二人もお供をした。また、悪霊や病気を治してもらった女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの女たちも一緒であった。彼女たちは、自分の財産をもって彼らに仕えていた。


新約聖書マタイの福音書27章45-56節

 さて、十二時から午後三時まで闇が全地をおおった。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そこに立っていた人たちの何人かが、これを聞いて言った。「この人はエリヤを呼んでいる。」そのうちの一人がすぐに駆け寄り、海綿を取ってそれに酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした。ほかの者たちは「待て。エリヤが救いに来るか見てみよう」と言った。しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。

 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。地が揺れ動き、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った。彼らはイエスの復活の後で、墓から出て来て聖なる都に入り、多くの人に現れた。百人隊長や一緒にイエスを見張っていた者たちは、地震やいろいろな出来事を見て、非常に恐れて言った。「この方は本当に神の子であった。」また、そこには大勢の女たちがいて、遠くから見ていた。ガリラヤからイエスについて来て仕えていた人たちである。その中にはマグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子たちの母がいた。


イエス様が地上におられた間、非常に多くの女性がイエス様に仕えていました。彼女たちは、自分の財産を使ってイエス一行を献身的に支えました。彼女らのサポートがあったからこそ、イエスは神様から与えられた仕事を完遂することができました。おそらく女性の力がなければイエスはここまで完璧に仕事をこなすことができなかったはずです。イエスが十字架刑に処される時、非常に多くの女性がイエスに付き添ったことが、イエスが女性の力を大いに必要とされた何よりの証拠です。神であられるイエス・キリストでさえ女性を必要とされたのですから、なおさらのこと、この社会には女性の力が必要であることがわかります。


この社会には女性であるあなたの力が必要です。あなたはどのように社会の役にたてますか?あなたの得意なことはなんですか?あなたの好きなことは何ですか?なにも他の女性と同じことをしなくて大丈夫です。あなたにできることを行えば良いのです。 あなたにしかできない役に立つ方法が必ずあるはずです。それを探してください。女性であるあなたが神様に大胆に用いられ、男性と協力することによって、私たちの暮らすこの社会がより良いものとなるように期待します!女性がもっと活躍できる世の中へ!!



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