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執筆者の写真鳥元 剛志 -torimoto tsuyoshi-

自分のいのちを捨てるか?救うか?あなたはどちらを選ぶ?


自分のいのちを捨てるか?救うか?あなたはどちらを選ぶ?

もし、あなたの前に強靭な殺人鬼が現れ、刃物を片手に、隣にいる男性に襲い掛かったとしたら、あなたはどうしますか?


選択肢は二つです。


①逃げて警察に通報する(おそらく隣の男性は刃物で殺されるであろう)

②殺人鬼と戦い男性を逃がす(おそらくあなたは刃物によって殺されるであろう)


究極の二択ですね。要は、あなたが死ぬか、隣の男性が死ぬか、です。あなたであれば、どちらを選びますか?正直に言うと、他人の為に死ねる人など、そうそういないと思います。もし、隣にいる人が自分にとって大切な人であれば、自分のいのちを捨ててでも助けることでしょう。イエス様の一番弟子であるペテロは、こう叫びます。


「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。(-"-)」(新約聖書ルカの福音書22章33節)


伝承によると、ペテロは殉教の死を遂げたと言われています。ペテロは有言実行を貫き通し、敬愛する師イエスの為に死にました。ペテロにとってイエスとは、いのちを投げ捨てることができるほどに大切な人物であったのです。


このように、自分にとって大切な人の為なら、死ぬことができるかもしれません。しかし、まったく知らない赤の他人の為であればどうでしょうか。あなたはその人の為に死ねますか? 正直、難しいと思います。普通、人は赤の他人の為には死ねません。命を投げ出すことはできません。そんなことができるのは、神様ぐらいです。


そう、神様にはできるのです。


というよりも、神様はすでに赤の他人の為に死なれました。


新約聖書ローマ人への手紙5章5-8節

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。


イエス様は全ての人間を救う為に死なれました。というのも、地球上にいる全ての人間は罪人であり、罪があれば人は死んだあと地獄に落ちる運命にあるからです。イエス様は不敬虔な罪人を救う為に、ご自身の身体を人間の罪に対する生け贄として十字架の上に捧げられました。イエス様は十字架刑によって死に、そして三日目に復活されました。復活されたイエス様は、天に昇り、神様の右の席に座られました。神イエス・キリストという捧げものによって、また復活によって、人間の罪が完璧に赦される道が開かれました。私たち人間は、イエス・キリストを信仰することによって、罪が赦され、永遠の天国へ入ることができます。イエス様は、滅びる運命にある全ての人間を救い、天国へと導く為に、ご自分のいのちをも投げ出されたのです。なんと大きな愛でしょうか。


つまるところ、イエス様は「あなた」の為に死なれたのです。イエス様があなたの為に死なれたからこそ、あなたもイエス様の為に死ななければなりません。あなたの人生はもはや、あなた自身のものではなく、あなたの為に死んでくださったイエス様のものとなりました。


新約聖書コリント人への手紙第二5章14,15節

というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。


イエス様は、赤の他人である私たちの為に死ぬことによって、私たちには決してできないことをなされました。私たちの為に、それほど大きなことをしてくださったのですから、私たちもイエス様に恩返しをしなければなりません。自分の人生をイエス様に捧げることこそ、イエス様に対する一番の恩返しとなります。イエス様に人生を捧げるためには、自分の欲望・願望・自我などを全て捨てなければなりません。


新改訳聖書ルカの福音書9章18-27節

 さて、イエスが一人で祈っておられたとき、弟子たちも一緒にいた。イエスは彼らにお尋ねになった。「群衆はわたしのことをだれだと言っていますか。」彼らは答えた。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人たち、昔の預言者の一人が生き返ったのだと言う人たちもいます。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えた。「神のキリストです。」

 するとイエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じられた。そして、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日目によみがえらなければならない、と語られた。イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の益があるでしょうか。だれでも、わたしとわたしのことばを恥じるなら、人の子もまた、自分と父と聖なる御使いの栄光を帯びてやって来るとき、その人を恥じます。まことに、あなたがたに言います。ここに立っている人たちの中には、神の国を見るまで、決して死を味わわない人たちがいます。」


イエス様について行く者は、自分の欲望・願望・自我などを捨て、日々自分の十字架を負って、イエス様に従って行かなければなりません。自分の十字架とは、神様が私たちに期待しておられる事柄です。自分自身がしたいことをするのではなく、神様が願っておられることを実行することが、自分の十字架を背負うということです。イエス様の為に人生を捧げることが、結果的に自分のいのちを救うことになります。ここで言う「いのち」とは、永遠の天国のことです。いくら私たちが自分の欲望・願望・自我を優先して自分の好きなように生き、世俗的な成功を手に入れたとしても、永遠の天国へ入ることができないのであれば、その成功に何の意味もありません。イエス様の為に人生を捧げる人だけが、永遠の天国へ入ることができます。永遠の天国へ入ることこそ、真の成功です。


新約聖書マルコの福音書10章35-40節

 ゼベダイの息子たち、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。「先生。私たちが願うことをかなえていただきたいのです。」イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」彼らは言った。「あなたが栄光をお受けになるとき、一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにしてください。」しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができますか。」彼らは「できます」と言った。そこで、イエスは言われた。「確かにあなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることになります。しかし、わたしの右と左に座ることは、わたしが許すことではありません。それは備えられた人たちに与えられるのです。」


新約聖書マルコの福音書15章21-32節

 兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。彼らはイエスを、ゴルゴタという所(訳すと、どくろの場所)に連れて行った。彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒を与えようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから、彼らはイエスを十字架につけた。そして、くじを引いて、だれが何を取るかを決め、イエスの衣を分けた。彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。彼らは、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右に、一人は左に、十字架につけた。通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おい、神殿を壊して三日で建てる人よ。

十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを嘲って言った。「他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王に、今、十字架から降りてもらおう。それを見たら信じよう。」また、一緒に十字架につけられていた者たちもイエスをののしった。


イエス様の二人の弟子ヤコブとヨハネは、イエス様が栄光を受けられる時に、その両脇に置いてもらえるようにイエス様に頼み込みましたが、彼らは何もわかっていませんでした。イエス様が栄光を受けられる瞬間というのは、十字架刑に処されて死ぬ時でした。イエス様が十字架刑に処されて死ぬ時、その両脇にいたのは二人の強盗でした。本来であれば、ヤコブとヨハネがいなければならない場所でした。


自分のいのちを捨てるか?救うか?

あなたはどちらを選びますか?


自分のいのちを救う者は、滅びます。


しかし、イエス様の為に自分のいのちを捨てる者は、永遠の天国が約束されます。


もう一度、聞きます。


あなたはどちらを選びますか?


新約聖書ルカの福音書23章39-43節

 十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

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